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「好きを仕事にする」とは?

例えばコーヒーが好きだったとして、コーヒーショップで働くことは、「好きを仕事にする」と言えるのだろうか。

・・・まあこれは言えるだろう。ケーキが好きだからケーキ屋、本が好きだから書店という発想と同じである。

けれどコーヒーショップでコーヒーを売ることは、果たしてその人が求めていたことなのだろうか。コーヒーの味を追求するのならバリスタになることを考えても良いだろうし、コーヒー豆の輸入に携わっても良いかもしれない。

そもそもコーヒーショップで働くといっても、スターバックスのスタッフと、町の喫茶店の店長と、コーヒー豆の販売員では業務内容が異なっているようにも思える。


もっと深く自分の「好き」を見つめていくと、本当はコーヒーが好きなのではなく、ゆっくりとコーヒーを飲んでいる時間が好きなのかもしれない。であれば、それはコーヒーでなくても、紅茶でもいいし、パンケーキでも良いかもしれない。

このように考えていくと、単にコーヒーが好きだからと言って、コーヒーショップで働くことだけが、「好きを仕事にする」とは言えないように思える。


僕の場合、好きは「エンタメ」だった。そしてエンタメと言っても、テーマパークやライブハウスのような「場」ではなく、「エンタメコンテンツ」そのものであった。

自分が夢中になっているこのエンタメコンテンツを僕も生み出してみたいと考えて、何とか狭き門の通行証を手繰り寄せて、「好きを仕事にするべく」希望の業界に潜り込んだ。

けれど、入社して最初の配属は、エンタメコンテンツを作る仕事ではなくて、売る仕事だった(結果的にそれは20年間続くことになる)。もっと言えば、コンテンツを置いてもらう「場」への営業であり、いわゆるBtoBの仕事であった。

配属されてから最初の数年は、それでも大満足だった。好きを仕事しているとは思えなかったが、好きなものの周辺で働いているだけで、自分の承認欲求は満たされていたのである。


そうこうしているうちに、営業という仕事が自分に適していると心から思うようになった。

営業に特化したスペシャリストになってくると、コンテンツの作り手側からアドバイスを求められる機会が増えていく。

売り物(=エンタメコンテンツ)を生み出すクリエイターやプロデューサー(編集者)に対して、出口(=ユーザーとの接点)の状況を説明し、どうしたら世の中に発信していけるのかを考えていくことに没頭するようになった。

そこまで来ると、単なる営業マン、マーケッターではなく、コンテンツを作り出す一員だと思えてくる。いつの間にか、働き始める前に考えていた「好きを仕事にする」ことを実現していたのである。


しかし、それでめでたしめでたしとはならない。僕の場合で言えば、キャリアを積んでいく中で、業務内容や仕事に対する心持ちにも変化があり、働いているマーケットの環境も大きな変革の時期を迎えている。

そうした変化の中で、単純に「好きを仕事にしたい」と考えるのではなくて、「自分の使命を全うしたい」と思うようになった。


「自分の使命」とは何か。

簡単に言えば、自分が住んでいる社会や働いてきた業界に対して、どんな貢献が果たせるか、ということである。できれば自分ならではの、自分が最も得意なことであるべきだと思う。

もっとも、働き始めの新人に「得意」や「使命」などを考えさせるのは無理がある。ある程度の長い時間をかけて、じっくりゆっくりと見出していくものである。

今考えているのは、仕事人生の前半戦は、自分の使命を導き出すことだったのではないかということ。そして、後半戦は自分の使命を惜しみなく全うすることなんだということである。

「好きを仕事にしたい」は、自分の使命を見つけるための過程に過ぎないのではないか、というのは僕の今の持論である。


同じものを同じ熱量で好きであり続けるのは難しい。そうであるならば、「好き」をステップにして「使命」を見出したい。僕の体験上、「使命」だと認識したものには、大きな熱量を注ぎ続けることができるからだ。



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