歯を食いしばってでも、リラックスする。
人生は忙しい。やらなくてはならないことが多い。多すぎる。プライベートも仕事もタスクだらけで、何とか優先順位をつけてクリアしているわけだが、何か一つを終えても、また新しい何かが始まってしまう。忙しさはどこまでも続いていく。
仕事だけを抜き取っても、進行中の案件は何個もあって、考えたり行動したり説得したり発信したりと気が休まらない。
忙しくても休憩・休養は必要だから、四六時中活動できるわけではない。限られた時間の中で、心と体を休めつつ、無数にある目の前の事柄を処理していなかなくてはならないのだ。
そういうやることだらけの毎日の中で、目先のことだけにとらわれず、先々も見据えた、今すぐには役立たないような勉強もしなくてはならない。色々なことを先回りして、準備をしておかなくてはらない。
ほんと、なんと忙しいことだろうか。
そういうこともあって、「断捨離」だったり「捨てる生き方」だったり「好きなことだけして生きていく」という考え方が支持されるのはよく理解できる。
「目の前にあるタスクの数々は、実は必要のないものばかりである」という考え方は、思わず飛びつきたくなる魅力を備えている。だって、やることが多すぎて困っているんだもの。
嫌なものはやらなくていいですよ、負担になっていることは捨てていいですよ、という言葉に私たちは思わず惹かれてしまう。
FIRE(早期リタイア)だったり、組織の面倒くさいことに囚われないフリーランスという働き方が注目されているが、これも必要なことだけに絞って生きていきたいという考え方が反映されているように思う。
さて、今日は仕事も何もない一日だったので、ゆっくりと藤子記事を書く予定だったのに、何だかやる気が起こらずダラダラと過ごしてしまった。
けれど頭が休まっているわけではなく、現在進行中の仕事のことだったり、問題だらけの組織のことだったりが、浮かんだり消えたりして、リラックスできているわけではない。
ダラダラしているがリラックスはしていないという、まあ最悪なコンディションなのである。
そんな時に他の方のnoteを眺めていたら、いくつかのそうした「やらなくていい」論が目に入ってきて、つい読み込んでしまった。正直、魅力的に思えたのは紛れもない事実である。
土日に悩んだって意味はないし、先週残した案件をやっておけば良かったと悔やんでも時間は戻ってこない。そもそも休日の休養を奪うような仕事に取り組む必要もないのでは? そんな風に考える。
けれど、
けれど、それでいいのだろうか?
休日まで侵食してくるような仕事であっても、それをあっさり捨ててしまっていいのだろうか。心地よくないからと言って投げ出して良いのだろうか。組織の面倒くささから離れることが正解なのだろうか。
僕が頭を悩ませていることは、けっして「好きなこと」ではないけれど、自分が与えられた立場の中で、最大限、自分自身が選択してきたことだったのではないのか。
もちろん、メンタルを壊しては始まらないのだが、僕の代わりに誰かのメンタルを壊すわけにもいかない。自分が避けたことは、必ず誰かが被ってしまうことになる。
できる限りの範囲の中で、僕は歯を食いしばって、仕事に取り組まなくてはならない。そして日々の仕事に取り組むためには、必要な休養はしっかりと取らなくてはならない。つまり、意地でも休日はリラックスしなくてはならないのだ。
歯を食いしばってでも、リラックスする。そんな矛盾に満ちた、休日のひと時を僕は過ごしている。
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