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人と人とは常に対等

代議士を「先生」などと呼ぶが、別にそれで偉いわけではない。

先輩や上司、年上の人は、目上の人間だが、人間的に偉いわけではない。

noteを毎日更新し、それが500日や1000日続けても、フォロワーが500人1000人になっても別に偉くはない。

物事を知っているから、経験しているから、よく考えているからといって偉くはない。

事業に成功しているから、年収が多いからといっても、偉くはない。


人間はいつだって、平等で対等だ。


もちろん、人を敬う気持ち、凄いと思う気持ち、勉強になるなあと感心する気持ちは持つべきだ。

どんな人同士でも対等だが、互いに敬意を表するべきだ。

謙虚な姿勢を持つべきなのだ。


僕はそんな風に思っているので、偉そうにしている人を見ると、不愉快な気持ちになる。ある一部分が「偉かった」としても、それは全体ではない。

10年くらい前の上司に、上司は部下を人間的にも率いていくべきだと言われて、強い違和感を持った。仕事上の上下関係は、人間としての上下関係とは別物だと思うからである。


その一方で、卑屈にもなってはいけないと思う。上からくる人間は多いので、こちらに卑屈な気持ちがあったりすると、簡単に押しつぶされてしまう。

どんなに自分が不利な立場に追いやられたとしても、人間的には対等なのだと強い気持ちを持たなくてはならない。


こうして考えていくと、人と対等の関係を築いて、対等に付き合っていくことは、難しい。

バランス感覚や強い自覚を持たなくてはならないが、そうした感覚を得るためには努力が要る。



僕らは何かと教訓めいたことを言いがちだ。自分が学んだことを人にも伝えたくなるものである。けれど、何億人といる人間の中で、たった一つの人生の勝ちパターンが、他の人々の価値になるとは言い切れない。

特にnoteという媒体は、一方的な語りで構成されるものなので、上から目線で物事を語りがちである。得てして、偉そうになる。(この文章もそうかもしれない)


「人は対等」と時々は自分に言い聞かせて、今後もnoteに励もうではないかと思う次第である。


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