「人手」から「人材」へ
人手不足と人材難、よく似たニュアンスだか、その意味合いは大きく異なる。
人手不足と言われると量的な不足をイメージするが、人材難と聞くと質的な不足を思い浮かべる。
例えば、引き抜きの話をもらったとして、人手不足だからと言う理由と人材難だからと言われるのでは、自分の評価が全く違うように思える。
ここで考える。自分自身は、きちんと「人材」になっているのか、と。
少なくとも新入社員だったころは間違いなく「人手」である。組織が右も左も分からない若者を雇う理由は「人手」が欲しいからだ。
将来の人材が欲しくて企業は新卒を取るんだという意見もあろう。
けれどどんな一流上場会社でも業績難の時は採用を控えるし、下手すれば経験者のみの採用に留めることもある。
穿った見方をすれば、人手が運良く人材になればいいくらいに企業は考えているような気がする。
少なくとも、社会に入りたては「人手」であると知るべきであろう。
しかし、いつまでも、取り替え可能な「人手」のままでいる訳にはいかない。その人ならではの個性や職務、業績を伴わせて、唯一無二の存在へと歩んで行かねばならない。
「人手」で安穏としていられる時期は、以外と短い。年下の「人手」がどんどんと入ってくるし、同年代の中から飛び抜けた存在が出てきて比較されたりして、居心地が良くなくなっていく。
いち早く「人材」と呼ばれる一員に入らなくてはならないのだ。
僕はもう四半世紀の間、エンタメコンテンツ業界で働いているが、もともと狭き門ということもあって、比較的最初から「人材」として扱われる傾向はある。
いきなり即戦力を求められるし、人手を育てる余裕がないとも言える。
それでは「人手」が担う業務は誰がやるのかということになるが、それは、非正規雇用の人を別途雇うことになる。
悪い言い方になってしまうが、エンタメコンテンツの世界に憧れる人は多いので、そうした方々は安月給でも喜んで「人手」仕事に携わってくれる。だから、基本的に人手不足には陥りづらい仕組みなのだ。
✳︎もっとも、ここへきて少子高齢化が進み、エンタメコンテンツ関連でも、人手不足が構造的な問題となってしまっている。
狭き門のエンタメコンテンツ業界で、基本即戦力を求められる環境でありながら、実際には人材難がずっと叫ばれている。
それは一体どういうことなのか。
これは、「人手」から「人材」に移行する人は案外少ないからではないかと思う。その人でなければならない仕事をする存在に誰もがなれる訳ではないのだ。
仕事を何年も続けていれば、「人手」として2倍の働きができるようになるかもしれない。
けれども2人分の「人手」になったとしても、その人は「人材」とは呼べない。全くレベルの違う質が伴って、初めて「人材」となるのだ。
ここで再び自問する。僕は「人材」になれているのだろうか、と。
GWのレジャーの隙間時間、そんなことを考えて過ごしている。
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