見出し画像

喧嘩両成敗とかいう思考停止

今日も時間がないので、少しだけ愚痴を・・。

喧嘩両成敗ってあるじゃないですか。あれが僕はどうも好きではないのです。喧嘩したという事実だけを取り上げて、その事情を加味せずに両者を同列に並べるなんて許せないんですね。


最近、自分の仕事が変わったこともあり、それまで手掛けてきた案件を引継ぎする必要に迫られたんですね。ただ、急な異動ということもあって、自分の後任がいつまで経っても決まってこなかったわけです。

よって、今の仕事と同時並行で前の仕事もゆるゆると続けていかねばならない状況にありました。

ようやく後任も決まり、そこから引継ぎをしていくわけですが、プロジェクト自体は止まってくれないので、短い時間で一気に業務を教えていかなくてはならない。勢い引継ぎは雑になりがちです。

でも、スピードを落としてしまうことで、時間的な部分で事故ってはならないので、どこかで何かを調節しないと、プロジェクトが毀損してしまう。そういう危険性を孕んだ引継ぎであったわけです。


実際としては、完璧ではないまでも、それなりにうまく仕事を渡すことができました。ただ、繰り返しますが完璧ではない。

よって、ツッコミどころは随所にあります。手抜いている部分もあるし、手続き論として順番が前後になっているものもある。でも、それはある程度の許容範囲であるべきです。


ところが、後任があるポイントで、ちょっとしたミスをしてしまったことで、社内的な行き違いが発生しました。これは僕からすれば、誰が悪いわけではなく、強いて言えば後任をすぐに選ばなかった組織の側に問題がある。

そういう状況にも関わらず、後任の人間が責められ、さらには僕の引継ぎが甘かったというようは批判を受けました。要するに、起こったミスについて、前任者・後任者の両方の責任に帰着したのです。


こういう時、喧嘩両成敗みたいな考え方を持つ人間がいることが、非常に腹が立つのです。ミスが起きたのは、みんなのせいだと、そういうヤツです。

でも、それは全く本質ではない。喧嘩もミスも、必ず何かしらの原因があって起こるものです。その原因をはっきりさせないと、同じようなことが繰り返されてしまう。

なので、ミスをしたもしくは喧嘩した当事者がそれぞれ少しづつ悪かった、みたいな決着方法は、僕からすればただの思考停止に思えてしまう。

是非とも皆さま方におかれましては、何か問題が起きた時には、安易な答えに陥らずに、自分たちの頭を使って原因究明をしてもらいたいと思います。


以上、寝る前の愚痴でした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?