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自分の中からしか生まれてこない。

インプットからの、アウトプット。

アウトプットと言っても、少人数への口頭ベースの伝達もあれば、自分に向けたメモ程度のいたずら書きもあれば、noteのような不特定多数に向けた発信タイプもある。

ただ、いずれにせよ、アウトプットという行為は、自分の中にあるものを外に出すことを意味する。裏返せば、自分の中にあるものしか、アウトプットできないということになる。


僕自身、仕事やプライベートにおいて、積極的に発信するタイプなので、常に自分の中に多くのものを留めておかねばならないという危機感を持ち続けている。

アウトプットし続けるために、自分の内面を充実させておきたいという欲求があるのだ。

そのためには、人と会話したり、読書したり、ネットサーフィンしたり、動画や映画を観る必要がある。アウトプットの材料を集めるべく、色々とインプットしておかねばならないのだ。

もちろん、漫然と情報や知識を蓄えただけでは意味がなく、それを自分なりに解釈し、それまで培ってきた経験や思考と混ぜ合わせたり、照らし合わせたりしながら、アウトプットに値する形に整えていかねばならない。

情報や知識は世の中に溢れかえっていて、中には嘘やデマや誇張が含まれる。鵜呑みにせずに、必ず自分の中で咀嚼することが肝要なのだ。


アウトプット、特に人に何かを伝えようとする「発信」においては、単なる情報や知識を並べ立てることはあまり意味が無い。誰かの知識の受け売りや、何かの情報記事の転載などは、発信者が誰であってもいいからだ。

僕としては、発信者は、情報や知識を一度体内で整理し、その人ならではの考えなど加味してもらいたいといつも思う。発信者ならではの付加価値が、受信者の心を掴むものだからだ。

発信者は、発信するべきことは、一度自分の体を潜り抜けたものにするべきだと認識するべきだろう。アウトプットに値するものは、自分の中からしか生まれてこないのだ。




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