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謙虚さと可愛げ

今日も手短に。

自分に自信を持つってどんなことでしょうか。

他人と比較して、自分が素晴らしいと思うことでしょうか。

自分が正しいと信じることでしょうか。

「自信を持て」と色んな人が無責任にアドバイスしてきますが、自信たっぷりに自分の主張ばかり貫き通すと、周囲の人とは必ずぶつかってしまいます。

かと言って、周囲に歩調を合わせてばかりいて、自分が心から正しいと思っていることを主張しないのも、間違っているように思います。

自信を持って自己主張することと、周囲の目を気にすることは、そもそも矛盾した行為のように思えます。


この矛盾を解決する方策として、自分に自信を持つことと、自己主張をすることは、重なり合うことではないと認識する必要がありそうです。

僕は人並みに自分に自信を持っていますし、自分の主張はきちんと述べたいと常々考えています。

人と主張がぶつかり合うことは頻繁にありますが、必要以上に衝突を恐れてはいません。

けれど、例えば仕事上の対立があったとしても、それを人間同士の対立にしてはいけないと考えています。

自分に自信を持った方がいいし、自己主張もするべきでしょうが、人間同士のぶつかり合いに発展してはならないと思うのです。


では、仕事上の対立を、人間同士のいざこざに発展させないようにするにはどうしたら良いのでしょうか。

その解決にあたって、二つのキーワードがあると思っています。

それが、「謙虚さ」「可愛げ」です。

「謙虚さ」とは、自己主張をする際に、絶対的に自分の意見が正しいとは思わないということです。

「可愛げ」とは、強めの主張をしたり、自信に満ち溢れた態度を取ったとしても、人に可愛げを持って迎えてもらうことです。


謙虚に自分自身を捉えることは、自分の自信を失うことにはなりません。むしろ、常に自分が間違っている可能性があると考えている方が、なぜか自己承認欲求が高まるように思えます。

正しさとか正解は、時代によっても、立場によっても変わっていくものです。自分の主張だって、常に変わってしかるべきだと思う訳です。

そんな風に緩く捉えていた方が、精神衛生上、健全なのではないでしょうか。


また、可愛げのある人間は、何かと得する社会だと常日頃感じています。

これは持って生まれたキャラクターに関わってくるので、そう簡単に身に付けることはできないのですが、けれど、なるべく愛すべき人間になろうと考えるのは、損になる話ではないかと思います。

そして、可愛げを出すためには、やはりどこか謙虚さが必要なようにも思えます。

自分に自信を持つべきだと人は簡単に言いますが、自信を持ち続けて、かつ周囲と人間的な対立を起こさないように、謙虚さと可愛げを身に付けようという意志を持つことが重要なのではないでしょうか。




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