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迷った時の軸を作る。

ここ数日、かなり難しい判断に迫られていた。

今進めているプロジェクトがあって、その骨子部分を作っているのだが、最後のピースを埋める場面に差し掛かり、いくつかの選択肢から一つを選ばねばならなくなったのだ。

ざっくり言えば、3つの選択肢が目の前にぶら下がっていたのである。


一つ目は従来から計画していたもの。パーツとしては非常に収まりの良いものである。ただし、最後の最後で問題点が明らかになって、これを選ぶのに躊躇する気持ちが芽生えてしまっている。

二つ目は新しく外部から提案されたもの。今まで全く検討していなかったものだが、それなりに魅力的で即効性がある。ただし、より精査したいが、もう時間が無くなっていて、ある種の見切り発車が求められる。

三つ目は新しく上司から示されたアイディア。これまでのプロジェクトの流れに沿ったものだし、協力的な外部スタッフも存在していて、これも非常に魅力的。ただし、中身としては第一のプランと似通っていて、だったら最初の案でいいのでは、と思う節もある。


ポイントは時間が無いということである。何なら締め切りは過ぎていて、早急にプランを固めて、次の段階に進ませなくてはならないタイミングなのである。

さらにややこしいことに、3つのプランには、それぞれ重要なキーマンが存在している。3つの中から一つ選ぶとすると、選ばれなかった選択肢に関わる二人のキーマンがへそを曲げる可能性があるということだ。

つまり、選択肢を3つ作ってしまったばかりに、残り2つを断ることでのリスクも生じてしまっているのである。


この手の難しい選択の場面に立った時に重要なのは、ともかく自分軸をしっかり持つこと、これに限る。

自分軸と言っても、自分の信じた道を選ぶということではない。迷った時の打ち手を求める時の判断軸のことである。

言い換えれば、判断する時の心持ちをどのようにするか、ということだ。


僕はこういう時、判断するべき人の判断に委ねるということをまず考える。ただし、判断材料はこちらからきちんと提示を行うようにする。

メリットとデメリットをなるべく客観的に示し、考えうるコストやリスクも開示する。場合によっては判断者が、後々困るようなことも出てくるかもと、恐れずに伝えていくことも重要だ。

ここでは、判断する者を故意に誘導させる「悪意」を消すことがポイントとなる。判断をする側は、自分の答えを誘導させられていることにすぐ気がつくものだし、そうなると、材料集めをしたものを信じられなくなり、信頼関係が壊れてしまう。

誠実に材料を揃えて、真っ当な判断をしてもらおうと考えるのである。


先ほどの僕(たち)の例で言うと、結果的には一つ目のプランを採用した。それが正しかったかどうかは、もっとプロジェクトが進んだ時に明らかになっていくが、今取るべき道はそれだと決定を下したのである。

ちなみに僕は本件は、判断を下す者ではない。あくまで材料を整えることが使命であった。その役割に徹し、判断することのリスクも含めて、上位者に決定して貰ったのだ。


そういうことで、僕(ら)が苦しんでいた数日は終わり、今は晴れ晴れした気持ちで週末を迎えようとしている。迷った時の自分の流儀<判断するべき人の判断に委ねる>も徹底できたし、より清々しい気分である。

その他にも、僕なりの考え方の軸はいくつか持っていて、それを迷える時に使っている。逆に自分なりの軸を持たないと、ジャッジには時間がかかってしまう。それが最も良くない対応ではないかと思う訳でなのである。



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