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伸ばすことはできるが、伸ばし続けることは難しい。

何事も始まりが肝心と言われるが、新しいことに着手するのは心身ともにパワーを使う。

しかもそれなりに難しそうなチャレンジともなれば、相応の準備が必要だし、面倒くさい気持ちを取り払って、モチベーションや体の調子を整えなくてはならない。


ただ、色々な準備を経て、新しいことに取り組めたとしても、ここから本当の大変さが待ち受けている。

新しく始めたことが、思ってたことと違っていたり、不慣れが原因でトラブルを起こしてしまったりする。

着手早々、やる気が削がれる事態に陥って、その対処法もよくわからぬまま、新しい挑戦はいつしかなかったことになってしまう。

運良く何とか最初の山場を乗り越えたとしても、さらなる大変なことがこの後に高い壁となって現れる。

新しいことを一通り経験し、それが新しいことでは無くなった時に、そのまま始めたことを続けるか否かという問題が発生するのである。

これが俗に言う継続問題である。


例えば僕は将棋が趣味の一つだが、将棋はルールを覚えるまでがまず大変で、基本の形を理解するのも一苦労する。かなりの初期の段階で挫折する人は多いだろうと思う。

しかし初心者を抜け出したとしても、そこから急に強くなれるわけではない。コツコツと詰将棋を解いたり、本を読んでテクニックを学習したり、人やAIと対局して実践感覚を身に付けたりと、恒常的に将棋に触れていかねばならない。

継続できる環境、モチベーションなどを整えつつ、時間をかけて将棋を強くしていくのである。これが、何とも難しい。


noteを使って記事を書き、文書力を身につけたいとする。ところが、noteに執筆して、それを人様にさらけ出すという行為が最初のハードルで、何を書こう、この文章を見せても大丈夫だろうか、などと逡巡しているうちに、時間ばかりが経ってしまう。

何とか勢いに任せて一発目の記事を投稿し、その後も数日~一ケ月くらいnoteを更新し続けたとする。しかし、ここで思うようにフォロワーが増えなかったり、スキやコメントもつかないとなると、書いてて意味があるのかな、などと迷い始めてしまう。

書くネタも無くなってきて、書く時間も取れなくなってくると、今日は書かなくてもいいやと一日挫折し、その翌日、そのまた翌日も筆を休めているうちに、noteのことを忘れ、文章力を見につけるなんていう目標も見失ってしまう。

やはり、継続することは、難しい。


子供が徐々に成長し、そろそろ学力アップを真剣に考えなくてはならなくなった。実は僕自身、大学生の時に塾講師を4年間していた経験があり、学力をちょこっと伸ばすことに関しては自信を持っている。

勉強の仕方、身に付け方にはコツがあり、些細なアドバイスで学力を伸ばすことは可能である。

ところが、学力を若干伸ばしたとしても、その後グングンと伸び続けさせられるかというと、それは全く自信がない。勉強を好きになって、その子が自主的に意欲を高めていかないと、学力の伸びは簡単に止まってしまう。

周囲の人間では、ひと時の学力アップには貢献できるが、その子の継続的な学力向上のためには別の方策が必要となりそうである。


これは仕事でも一緒だ。一通りのテクニックや人脈は構築できても、成長し続けるのは難儀である。結果を一度出すことができても、継続して出し続けることは、とても難しい。

僕は常日頃、「伸ばすことはできるが、伸ばし続けることは難しい」と考えている。そして、これを打破するためのポイントは、「継続」であると確信している。

もちろん闇雲な継続は意味を持たない可能性が高いが、改善を加えながらの継続をしていけば、きっと伸び続けることができるはずだ。

実際、僕自身を振り返っても、良い継続ができていることについては、それなりの結果に結びついていると、僕は思う。


ただ、noteを毎日書いている割に、文章力の向上は、どこかで止まってしまった気がするなあ・・・。


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