持っている人 持っていない人
僕は普段、SF(=少しふしぎ)な藤子Fワールドを考察している不思議大好き人間なので、スピリチュアルな話とか、非科学的な出来事とか、論理的ではないテーマを見聞きすることは嫌いではありません。
むしろ好き、大好物だと言った方が正確です。
しかしながら、こと仕事については奇跡の類はほとんど信じていません。
仕事においては、論理的に物事考えたり、コツコツと実績を積み上げたり、忠実に計画を遂行していくことを重視しています。
一時の感情に流されたり、一発逆転を狙ったり、何とかなるでしょと言った楽観論が嫌いなのです。
ビジネスにおいて、スピリチュアルな話はもっての外という考えを持っています。
ただし、一点だけ、長い仕事人生の中で確信している、非論理的なことがあります。
それは、この世には「持っている人と持っていない人」がいるということです。
具体的に「持っている人」とは、その人が組織のトップに立った瞬間に、事業が好転したり、ビジネス環境が好循環に入ったり、勝負どころで成功したりする、そんな人々のことを指します。
「持っている人」は、前任者が仕込んでいたことが自分の担当に引き継がれた途端に花が開いたり、大きな数字を狙っていないものが望外な大ヒットを飛ばしたりします。
運とか偶然を引き寄せる「持っている」としか思えない人というのが、確実に存在するのです。
僕がいるエンタメコンテンツ業界は、基本的に当たり外れの大きい世界です。
何かにつけて験担ぎとか、お祓いとか、神頼みをしますし、持ってる人を崇めてついて行こうとする、スピリチュアルが言動が日常的に行われています。
書いてて胡散臭い話ですが、一概にそれを否定できません。神がかった結果を次々と出す人間が、一定数出現するのです。
逆に持ってない人間は悲惨です。その人の人間性とか優秀さは一切考慮されず、非情な結果が付いて回ります。残念な結果が続くと、人心が離れるなどの悪循環を引き起こし、組織が崩れていきます。
持っていない人間は、その人だけでなく、周囲の人々も不幸にしていくのです。実に恐ろしい話です。
さて、そんなスピリチュアルな領域は、「大局観」という言葉で説明されることがあります。僕なりに解釈すると、それは気の流れというか、世の中の動きを捉える力だと説明できます。
言い換えれば、論理や感情などを超えたところで「物事が分かってしまう力」です。そんな大局観を身に着けた人間が、得てして「持っている人」と呼ばれるように思います。
僕自身を振り返ると、持っているかどうかで言えば、まあそうではないです。かといって持っていないとも言い難い。非常に中庸な(平凡な)ビジネス人生なのではないでしょうか。
だからなおさら、その時々の上司を見てきて「持っているか否か」が重要だということは良く分かっています。
持っている上司の下についた場合と、持っていない上司を持ってしまった場合を比較した時に、所属している組織の勢いが全く異なることを身に染みているからです。
何はともあれ、僕自身は平凡なビジネスマンであると自覚しているので、持っていない人にはなるべく近づかないという方針で、今後も生きていきたいと思うところであります。
本日はそんな、SF(少し・不思議)なお話でした。
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