やめたらやめてしまいそうで
気づいている人がいるか分かりませんが、最近私、筆が乱れています。
とりあえず記事の形にして、毎日アップさせているものの、推敲をきちんとしてない「取って出し」の状況なので、文章の完成度が低いのです。
何とか書き終え、記事を投稿し、後日時間ができたところで記事を編集したりして、何とか誤魔化している感じです。
特にここ2週間くらいは、仕事もテンパっていたり、夜の会がいくつか催されたりはいってきたり、プライベートの旅行に出かけたりして、忙しない日々となってます。
その結果、noteの記事が乱れることになっているのです。
こうなると考えてしまうのは、毎日、無理矢理に更新させる必要はないのではないか、ということです。
残業を切り上げて記事を書いている時や、飲んだあとに他愛のないことを綴っている時には、特に思います。
noteなんかより今やるべきことがあるんではないか? と。
別に強制されてないことですし、物理的に記事を書くのがしんどい日もあります。もういいか、と思うことも増えてきました。
けれど、あと2ヶ月続ければ、丸2年の継続記録になる、なんて考え出すと今日のところは頑張るか、となるのです。
もうひとつ気がかりなのは、無理矢理にでも毎日連続更新をしているからこそ、noteを続けていられるのではないか、という疑念です。
つまり毎日書くのをやめてしまうと、そのままnote自体をやめてしまう気がするのです。
実際に毎日更新をやめて、そのままスリープ状態に入ってしまったnote仲間たちを多数知っています。(仲間と言っても、僕の方から一方的に思っているだけですが。。)
そして、やめていった人たちの気持ちは、かなりリアルに想像できます。
毎日書くのはそれなりに大変なことで、面倒くさいことでもあります。
だからこそ、やめてしまうと、気持ちが楽になってしまうのだと思います。
人間、気持ちが楽になると、何だか正しいことをしているんだと考えます。抑圧されていることから、逃れられるからです。
抑圧から逃げた人間が、もう一回その「圧」に立ち向かうのは、かなり難しいことなのではないでしょうか。
note毎日更新の呪縛から逃れ、気持ちを楽にさせ、そのままnote執筆に戻ってこない。そんな流れが、リアルに想像できるのです。
ま、そもそもnoteの更新を抑圧だとたとえている時点で、もうかなり厳しいことになっている気もします。
毎日更新が途絶えるのも時間の問題なんではないかと、そんな風にも思います。
また、本当に記事を書くのが好きならば、1日や2日更新せずとも、また書き始めるものかもしれません。
実際のところはよく分からないのです。
今日は、旅行帰りの特急の中で書いています。昨日と一昨日の記事は、ざっと書いてあったものを、推敲せずに旅先でアップさせたものです。
今晩、家に戻って編集し直すつもりです。
だいぶ綱渡りの更新作業ですが、果たしていつまで続けられるものなのか。。もう全くわかりませんが、ひとまず今日のところは乗り切りました。
できましたら、また明日もお会いしたいと思います。
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