張り合いのある方へ
基本的に面倒くさがり屋で、急いでやらなくて良いことはやらないし、やらねばならないことでも、できる限り先送りしたいタイプである。
特段予定のない休日の朝などはいつまでも寝ているし、平日だって特に急用が無ければ午前中は何もしなかったりしてしまう。
その一方で、結果を求められる仕事については、全力で取り組むようにしている。自分の役割はきちんと果たしたいと常々思っているのだ。
よって、やるべき時には早起きも夜更かしも苦にならないし、何なら休日返上でも構わない。
自分の「行動力」について考えてみた時に、面倒で動きたくない自分と、結果を出すべくひたすら動きたい自分という、見事な二面性を抱えているようなのだ。
全く正反対な方向性を持つ僕だが、行動をするかしないかの基準は、頭の中では明快に整理されている。
面倒くさがり屋の自分と、頑張り屋の自分の境界線に、とある行動の起点となる要素(=モチベーション)が存在しているのである。
それは、ズバリ、目の前のやるべきことに「張り合いを感じるかどうか」ということである。
趣味か仕事かということもあまり関係なく、人から評価されるか否かもあまり気にしていない。それよりも、自分がその行動をしている時に、張り合いを感じられるのかどうかが、非常に重要だと思うのである。
張り合いというと非常に抽象的な言葉であるが、分かり易く言えば「やりがい」である。
やりがいとは、「自分の成長に寄与する」、「与えられた人生の役割に合致している」、「人のため社会のためになっている」など、多様な要素で構成されている。
やりがいの構成内容が、その人の個性を成立させているとも言える。
逆に言えば、やりがいを感じられないことに時間を費やすのは大変に無駄なことだ。自分の個性に反する行為に時間を奪われるのは、苦痛以外何物でもない。
人生はそれほど長くはないのだから、常に自分の行動基準として、「張り合い」のある方へ足を踏み出すのが、精神衛生上も良かろうと思うのである。
ただ、ここまでやりがい、張り合いの大事さを語ってきたが、一点注意したいのは、世の中にはこうした人の張り合いにつけ込んだ悪者や悪いシステムが存在しているということである。
特に人生経験のない若者に、すぐに金になるとか、その先にビックな夢があるといった嘘八百が吹き込まれることが良くある。
張り合いのある方へ進むことは間違っていないが、自分自身の心の声だけに頼らず、常日頃多くの人生経験を積んだ人たちの話も聞いておくべきだろう。
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