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持ち時間の使い方

何度もこのnoteに書いているが、僕の数少ない趣味の一つが将棋である。ハマりにハマっていて、今も羽生さんの対局を将棋アプリで眺めながらこの文章を書いている。

将棋の対局において重要なことがいくつもあるけれど、特に重要となってくるのが時間の使い方である。

対局者には、持ち時間が与えられていて、一手指すごとにその時間が削られていく。持ち時間が無くなった後は、一手30秒とか、60秒以内に次の手を指さなくてはならない。

ちなみに持ち時間は、棋戦によって様々で、7時間あったり、20分しかなかったりする。子供将棋大会などでは、持ち時間0(最初から秒読み将棋)というルールの時もある。

ただ、面白いことに、持ち時間がいくら長くても、やがてそれは無くなっていき、秒読み将棋が近づいていく。

プロ棋士でも持ち時間が無くなってくると、途端に間違えやすくなる。最終盤で信じられない逆転が起こるのも、時間が無いことが原因であることがほとんどなのである。


さてここで、いつものように将棋から人生訓を導き出してみたい。

将棋も人生も、持ち時間が与えられている。持ち時間は100年の人もいれば、50年の人もいる。それぞれではあるけれど、限りがあるという事実は免れない。

僕自身、来年はいよいよ50歳の大台に乗るわけだが、どうしても残りの持ち時間について、考えざるを得ない。体が弱めなので、長くても30年、早ければその半分ということも全然ある。

将棋では、残り時間が少なくなると、冷静でいられなくなったりして、悪手を指しがちである。これはもしかしたら、人生も同じかもしれない。

老い先短くなると、若い頃のようにじっくり考えることを止めてしまったり、努力して力を溜める我慢ができなくなって、咄嗟に誤った行動を取ってしまったりするのではないだろうか。


ただ、人生と将棋が大きく異なるのは、人生において将棋のような勝ち負けがはっきりすることはないのである。

特に年を取ると、あいつより偉くなったとか、きれいな奥さん貰ったとか、そういった「勝敗」がどうでも良くなっていく。人生に勝ち負けもないんだと、気付かされていく。

そういうことで、勝ち負けから離れたところで、自分の人生をどれだけ充実させられるかが、重要だと思うようになる。


そこで話は「持ち時間の使い方」に戻ってくる。

人生は、将棋のように対局者との勝敗というものがない分、自分の人生の充実に時間を効果的に費やすべきであろう。自分が心地よいと思える環境を整備して、人の意見に左右されず、これまで培ってきた美学や正義感を大事にしていきたいものだ。

自分の残り少なくなった持ち時間は、自分と自分に好意的な周囲の人たちに費やしていきたいと、心から思う。

間違っても、アイツに勝つためにアイツの足を引っ張る・・・なんて「悪手」だけは指したくないものである。




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