再び地に足をつけるために
村上春樹にハマる人って、あの癖になる文体によるところが多いとは思うのですが、主人公(主に男性)の、淡々と日々を受け止めていく「動じなさ」みたいなものに憧れを抱くのだと考えています。
朝起きて、適当に冷蔵庫から出してきた具材でサンドイッチを作って食べる、みたいなモーニングルーティンとか。トラブルに巻き込まれても「やれやれ」で済ます、あの感じ。
実際の生活は、あんな風に淡々とは行きません。奇怪な事件が起きたりもしませんが・・。
僕はこの仕事を始めて24年目とかになってしまうのですが、割とその時々のドラマに身を委ねて、目の前の仕事に没頭し、ある意味全力投球できていたと思っています。
村上春樹の主人公にはなれませんが、なるべく自分のペースを守って、できること、しなくてはならないことを、ある種淡々とこなしてきました。
けれど、この数年、特にコロ/ナ禍に入ってからは、環境が刻一刻と乱れていくので、どこか落ち着いて仕事ができない感覚があります。
正解が見えずらくなっているのに、仕事では何かしらの決断を下していかなくてはならない状況は変わりません。
自分だけではなく、周囲も浮き足だったりして、意見が頓珍漢な方向へ流れていってしまうこともあります。
こうした地に足のつかないフワフワした感覚は、人生初めてのものです。
組織においては、特に上層ともなると、不確定要素満載なのに、何か論拠を見つけて、重要な事柄を決定させていかなくてはなりません。
自信はないけれど、自信満々に言い切らなくてはならないのです。
しかも内心ビクビクしているので、何か一発逆転の施策に飛びついたり、目新しい策に溺れたりします。
そして最も問題だと思うのは、こうした環境下にも関わらず、深く考えないで言い切る人に引っ張られがちだということです。
決断を強いられる者は、そうした魅惑的な「言い切り」を求めてしまいがちです。本来、迷うべきところは、迷うことを恐れずに議論をするべきなのですが、迷わない人の声に思わず飛びついてしまうのです。
考えても無駄だという思考停止が、コロ/ナ禍でまかり通っている感覚が僕にはあります。予測困難な状況では、確かにじっくり考えても正解にたどり着く可能性は、従来より下がっていることは認めます。
しかも考えすぎた挙句、決断しないことのデメリットも大きいものがあります。かと言って、従来のやり方を押し通すのも間違える可能性が高そうです。
必ず何かしらの決断をしなくてはならない。
安易な声にも引っ張られてはいけない。
考えすぎてもダメ。
そうした三すくみ状態のようなことになっているのが、今のコロ/ナ禍を巡る環境だと考えます。
さて、この三すくみの対処をどうするか。
すなわち、どうしたら地に足のついた行動を取り戻せるのか。
こういう時は、実はやることは決まっています。基本に立ち返るということです。
なんのためにやるんだっけ?
届けたいお客さんはどこにいるんだっけ?
自分にはなにがやれるんだっけ?
そんな自問自答をしていきます。
浮き足だつ周囲に流されず、自分だけ基本に忠実に歩むのは、大変な労力です。声だけが大きい者、逆転一発に賭ける者、自信のなさを人のせいにして自らの立場を守る者。。。かき乱す人は大勢います。
ところで、こんな文章を書いていると、フワフワした気持ちが少しだけ落ち着いてくるから不思議です。
自分にとって、自分の心持ちを文章にしていくことが、基本だったことを思い出してきました。
正直、嫌な輩や、面倒なことは多いですが、時にこんな文章を書いたりして、地に足をつけて、基本に忠実な仕事をしたいと思います。
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