さようなら、K君。
誰でも妙にウマが合う友だちがいると思うが、僕の場合それは高校一年生のクラスメイトたちであった。
特に仲良くしていたのは、自分を含めた6人組で、いつも何かといえば集まって、くだらないことをしていた。
高校生活中もよくつるんでいたし、卒業後もしょっちゅう顔を合わせた。
働き始めてからも、誰かが結婚すれば集まり、子供が生まれればお祝いを持っていった。
ただ、30代後半頃からは、それぞれ仕事に家庭にと忙しくなって、6人全員で集まることはほとんどなくなった。
最後に会ったのは、6年前、最後まで独身だった友人の結婚式であった。
コロナを経て、LINEや年賀状でのやりとりは続いたが、会う機会は無くなった。「今年こそ集まろうぜ」が、年賀状の常とう句となった。
昨年の初夏。6人組の中心だったA君から、突然電話が掛かってきた。日曜日の夜だったと思う。時間帯からして、何か嫌な予感がした。
電話に出ると、挨拶もそこそこに本題が切り出される。それは、6人の仲間の一人、K君が死んだという思いもよらない訃報だった。
僕らは全員40代も後半となり、まもなく50歳を迎える。もう若くはないが、バリバリ働いている盛りの年とも言える。
多少体はガタついてきたが、まだまだ元気な年である。
K君は6人の中でも、もっとも体力があり、気力に溢れ、仕事も育児も趣味のスポーツにも、全力で取り組んでいた。
人当たりもよく、自然と皆が集まってくるような人格者だった。
けれど、突然K君は死んでしまった。くも膜下出血であった。
6人組の一人で、海外赴任を続けている友人がいるのだが、旧正月の関連で帰国することになったので、集まってK君の家を訪ねることになった。
久しぶりに5人が集合し、そして仏壇のK君と再会した。つかの間の6人勢ぞろいであった。そして、もう二度と6人で会うことはないんだと、切ない気持ちになった。
毎年のように集まろうぜって話が出ても、それは毎年叶わなかった。今にして思えば、無理やりにでも集まっておけばよかった。
5人でK君の家を後にして、駅前の居酒屋で献杯した。最初はお互いの近況を交換していたが、すぐに昔話へと話題が移る。何度も語り合った面白エピソードをほじくり返す。
毎回話題にするエピソードも、不思議と年を取ると、新しい印象を持ったりする。
古い話が、妙に新鮮だった。
また今度・・。またいつか・・。今年こそは・・。来年こそは・・。
そんなセリフが出てきたら要注意。「また」なんて日がいつ来るか分からない。そうこうするうちに、何かの原因によって、叶わなくなってしまう。
「思い立ったら吉日」とはよく言ったものだ。仲の良いメンバーで集まったり、やりたいことに取り組むことは、もったいぶらずに、すぐ取り掛かった方が良い。
特に、会いたい人と会うこと。それだけは、何よりも優先して実行するべきだ。もう会えなくなってからでは、いくら後悔したって、その日はやってこない。
K君とはもう会えないし、もう6人で集まることもない。
それはとても残念なことだけれど、彼は僕らの中では生きているし、これからも残りの5人で定期的に集まって、K君のことを話題にしなくてはならない。
それには、僕らも元気でいることだ。
元気でいること、そして思い立ったら動くこと。それらを肝に銘じて、明日からも一生懸命に、生きようと思う。
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