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百聞は一見に如かず(特に映画)

今日は土曜日ではあるが、半分仕事のお付き合いの用事が二件入った。一件目は昼過ぎくらいまでの用事で、もう一つは夜であった。

二件の用事の間には、たっぷりと時間があったので、一度家に帰ろうかとも思ったのだが、たまには都心で時間つぶしでもしてやろうか、ということになった。

まずは新宿の紀伊国屋書店へ。昔は時間潰しと言ったら本屋の一択だったのだが、最近は読書量も減ってしまったので、かなり久しぶりの紀伊国屋であった。

そうしたら、一階の内装がまったく変わっていて驚いた。ごった煮のイメージがあったのだが、白を基調としたお洒落ゾーンとなっていたのである。

ただ、小ぎれいな内装にしたことで、置いてある本の点数はかなり減らしているようだ。よって、あまり時間潰しにならなくて、すぐに二階に上がる。

二階はこれまでと変わっておらず、新刊や文庫がズラッと並んでいて、ここでようやく十分な時間を費やすことができた。

結局「このミス」の一位を獲得した米澤穂信先生の『可燃物』を購入。通販で買う手もあるのだが、この後どこかでお茶する時間もあるだろうということを踏まえた購入である。

自動レジと自分でカバーを包装するコーナーがあって、時代の変化を少し感じて、書店を後にする。

この後お茶でもと思ったが、まだまだ時間がたっぷりあるので、お茶だけで時間を潰すのは困難と判断。そこでうまく時間の合う映画はないかと検索することに。

評判の良い「ゲゲゲの鬼太郎」などをチェックしようかと思ったのだが、ちょうどすぐに始まる「正欲」を見ることにする。

「正欲」は、浅井リョウ原作の長編小説で、先ほど立ち寄った紀伊国屋書店でも50万部突破と帯が巻かれて、積んであった。


この映画はもともと気になっていた作品だが、群像劇スタイルの問題作というようなところまでしか情報を得ていない。チラリとどこかで、登場人物に感情移入できないとか、重たいテーマ、というような言葉を見かけていて、その点はちょっと引っ掛かる部分ではある。

僕だけなのかも知れないが、若い頃よりも重いテーマの作品に腰が引ける傾向がある。わざわざ二時間かけて嫌な気分になりたくない、とも思う。

その一方で、テーマを含んだ映画は、見ている時はしんどいものの、見終わった後は、作品のテーマについて考えたりできるので、それは尊い時間だと思う。

映画は見ている時と、見終わった後の二度楽しめる、稀有なるエンタメであるのだ。


さて、「正欲」は、問題作という触れ込みだったけれど、僕としては全く問題のない作品だった。この程度は問題作ではない。皆が抱える普通の問題を扱っている、むしろ普遍的なお話なのではないかという感想である。

また、登場人物に感情移入できないということについては、これも全く違う印象を持った。むしろ、登場人物たちの中に感情移入できない人間がいないように思えたのである。

つまりは、チラリ見た範囲ではあるが、世間に転がっている作品の評価やネガティブな反応は、まるで自分と受け止めるものと異なっていたのだった。

やはり百聞は一見に如かず、である。特に映画は、世間の評判や人の意見はまるで当てにならない。気になったものは、きちんと自分の目で見て、自分の心で感じないといけないのだと、改めてそう思う。


映画を観て、早めの夕食を済ませ、夜の用事へと向かう。しかし、それでもまだ予定まで一時間弱ある。そこで、ここでようやくお茶タイム。溜池山王のスターバックスに立ち寄り、しばしホッとする。

さっき買った『可燃物』を開けば良かったのだが、「正欲」のことが頭から離れず、しばらく他の人の感想を見て回る。

先ほど人の意見は当てにならないと書いたものの、人の意見を聞くなと主張したいわけではない。

映画は制作者の意図を越えた多面的なメッセージが発せられているので、その受け取り方は千差万別なのであって、そうした多様な意見に触れることは、むしろ奨励されるべきと考える。

あとは、最近話題のパーティー券問題などのニュースをダラダラ見ていたら、あっと言う間に次の用事の時間となった。結局『可燃物』は一度も開くことはなかった。


夜の用件が終わり、帰宅する。帰りの電車でようやく『可燃物』に手を付ける。まだ最初の一章だけしか読んでいないが、かなり面白い。

家に着き、家族と若干の交流後、一人この文章をつらつらと書いている。今日も藤子関連の記事が書けなかったが、それ以外は充実した時間を過ごすことができた。

映画に小説。やはりエンタメは、僕の生きる糧であるようだ。



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