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優先されるべきは、データか感性か

この命題、エンタメコンテンツの世界では非常にあるあるの対立軸であって、永遠のテーマでもあります。

データ派も感性派も双方に説得力のある言い分があります。

そこでまず、どちらが優先されるべきかという議論を死ぬほどやってきた僕の私見から、両派の特徴を対比させてみたいと思います。

データか、感性か
客観的か、主観的か
理系的か、文系的か
同じものをみているのか、見えているものが異なるのか
ブレないのか、ブレやすいのか
前例主義か、新しさか
秀才的か、天才的か
枠内の結果で収まるのか、枠外の結果を出せるのか
判断に時間がかかるのか、瞬時に判断できるのか

まだまだあると思います。また、自分がマーケティング職なのでデータ派の方に肩入れしてしまっているかもしれません。


この対立軸をマーケティング部門から見た場合に、僕にはマーケティングは万能なのか、という問いかけがなされているのだと理解しています。

先鋭的なクリエイティヴにデータを持ち込めば、絶対に角が取れて丸くなる。それでいいのか?
データを踏まえれば万人受けを目指したもの作りになりがちだが、それってただの予定調和ではないのか?

そういう重要な問いかけなのだ思います。


その一方で感性派の大問題として、決裁者の感性が鈍っていた場合に目も当てられない結果になるという致命的なリスクがあります。 

感性を優先して尖ったもの作りをしていく場合に、決裁者のレイヤーが上がっていくごとに、いつしか丸みを帯びてしまうことはよくあります。

つまり感性を優先する姿勢であっても個性的なクリエイティヴは、企画が進行していく間に角が削られていく宿命性を帯びているのです。


似たようなケースとして、新卒採用において一次面接で個性的な人材に目をつけても、二次三次と面接官のレイヤーが上がっていく中で、強い個性を持つ人間がどこかで弾かれてしまう、ということがあります。終わってみれば、例年同じような人材ばかりを採用しているという大企業あるあるです。


新しいコンテンツを生み出そうとする時に、結局優先されるべきはデータなのか、それとも感性なのか。

今見てきた通り、どちらにしても特筆すべき商品を生み出してそれをヒットさせるのは非常に難しいことだとわかります。

で、一度原点に戻って考えたいのですが、ヒットを目指すというゴールについては、いずれにせよ共有できるものだと思います。感性を重んじるのかデータに従うのか、それはヒットに至るアプローチの違いに過ぎません。


ここで僕が思うのは、最終的にはデータだろうと感性だろうと使えるものはフル活用して、何が何でも当ててやるんだという情熱が最も大事なのではないかということです。

急に根性論になってきましたが、実は情熱こそが万国共通の言語なのではないかと本気で考えてます。データ主義でも感性派でも、物事が進行していく間には、大小さまざまな制約や障害が待ち受けています。

これをクリアして、イケると思ったアイディアを貫き通していくには、実は誰の目にも見える情熱が突破口になっていくのでは、と考えています。

熱がヒットを連れてくる。おそらくそういうことだと思います。


しかしながら、アイディア段階からお客さんに届けるまで、情熱を傾け続けるのは並大抵のことではありません。

データも感性もいいとこ取りをして苦難を突破できる人材でなければなりません、しかもその人材は一担当者レベルではなく、決裁者自身、もしくは決裁者に大きく影響を与えられるリーダーである必要があります。

そのように考えていくと、最初の命題である「ヒット作を生み出すためにデータか感性のいずれを優先すべきか」という問いかけは、あまり意味がないことになります。

それよりもヒット作を作るためには、情熱を持った圧倒的なリーダーがいなければダメだと言えます。


エンタメコンテンツ業界に限った話ではないのかも知れませんが、ヒット作を生み出すには圧倒的なリーダーが必要である、と結論づけたいと思います。

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