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仕事って適度に忙しいのが理想形

僕は、「24時間戦えますか」世代でもなく(少し下)、早期リタイア(FIRE)を夢見るような年頃(少し上)でもない。

適度に働いて、適度にプライベートを充実させたい。そんな世代の人間であります。

過剰な贅沢は求めないにせよ、ほどほどには消費を楽しみたいので、お金を稼ぐという意味合いにおいて、仕事をすることに、それなりに貪欲であります。

僕はここまで25年間、営業の最前線で戦ってきた人間ですが、幸運にも疲れ果てるほどの残業はしてきませんでした。

それなりに忙しく、例えば週2日以上は会食があるような生活でしたが、それでもある程度の余裕は残した仕事ぶりでした。


一方で、最初に入った会社が、わりと暇でむしろ仕事を自分で積極的に見つけないと、時間を持て余すような職場でした。

時間があると、余計なことを考え出したりして、かえって動けなくなりという現象を経験しました。新しいことをすることが億劫になっていくんですね。(個人差あり)

けれど、職場が変わり、同じ業界の同じ仕事でしたが、そこは適度に忙しく、いつも体を動かしているような感覚がありました。

もちろん考える作業も怠ってはいませんでしたが、余計なことを考えるような暇はなかったので、すんなりと思ったように動くことができたように思います。


僕自身、そうした適度に働き続けることの快適さを知ってしまったので、管理職になった時には、部下には仕事を適度に割り振ることを重視するようにしました。

人によって効率の差があるので、同じような仕事の分量を分配することはせずに、効率の良い人には仕事を増やすことで労働時間を均等にするよう心掛けました。

それによって、仕事が多く詰め込まれる人は不満があったかもしれません。けれど、時間を持て余すのは非常に勿体ないように感じました。その人にとっても、組織にとってもです。


業務的に、ある種の季節労働者的な仕事の仕方を余儀なくされるケースはあります。その場合には、同じペースで仕事をすると死んでしまいますので、閑職期には十分に余裕を持ってもらうようにしていました。

ただ、この時もペースは落としつつ、常にそれなりの仕事はあるように配賦するのが、効率的だったように思います。

適度な仕事が目の前にあることで、いつも体が温まって、非常に心地よい仕事環境ができあがるものなのだと、今もそう確信しています。



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