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みんな話を聞いてもらいたがっている。

当事者の方には大変申し訳ないのだが、コンサルタント業が最も胡散臭い職業だと思っている。

いや、結論的には「思っていた」と過去形なのだが、ひとまずそういう認識を長く持っていたことは確かである。

コンサルと聞くと、まず思い浮かぶのが競馬場などにいる予想屋である。予想屋は人に予想を伝えて収入を得ているわけだが、そんな回りくどいことをせずに、自分がこれだと思った馬券を購入すればいいだけじゃないかとツッコミをいれたくなる。

結局は自分のお金を賭け続けるのはリスクなので、手残りをしっかり確保するべく、人に助言してその対価を貰っておこうということなのだろう。

予想屋さんにとって、賭け事よりもコンサルの方が安定的な収入を得られるというわけだ。


noteの世界でも、コンサルタントを名乗っている方がとても多くて、世の中どれだけアドバイスをしたがる人だらけなんだろうと思う。

助言を聞く人よりも、助言をする人の方が多いんじゃないか。まるで一人の生徒に何人もの先生が寄ってたかって教えているように見える。

そういうわけで、コンサル業=胡散臭い の代名詞として考えてきたわけだが、そうした認識は間違っていたのかも、と思ったので、それを記しておきたい。


今日は、とある同僚と夕方に仕事のMTGをしたのだが、そのまま雑談や人生相談のような話に発展していって、結果的にコーヒー一杯で3時間も話し合ってしまった。

話し合いと言っても、この時の僕はもっぱら聞き役で、同僚の話に相槌を打ったり、適当に要約したりしていた時間が長かったように思う。

同僚の悩みなども聞けたが、僕はそれについて特段のアドバイスをしたわけでもなかった。ふんふんと聞いて、同じ悩みを僕も持っていると共感したくらいである。

ただ、長く話を聞いた後で、その同僚は少し満足した様子が見てとれたのである。助言を貰えて満足というわけではなく、たくさん話せて良かったという意味での満足感である。


そこでふと思う。ああそうか、人は自分の話を誰かにきちんと聞いてもらいたいんだな、と。

「きちんと」というところが重要ポイントで、ただ漫然と聞いてるだけでは、話し手の満足度は低くなる。的確なタイミングでの相槌、首肯、要約を入れていくことが求められているように思う。

逆に、あまり真剣に話を聞かずに、取ってつけたような助言をしたりすると、話の腰を折られたように思われて、不満を抱かせてしまうことになるだろう。


人に話を聞いてもらい、まとめてもらい、共感してもらう。その作業によって、話し手の頭の中も整理され、問題点がクリアとなり、次の打ち手が見えてくる。

答えは人から貰うものではなく、自分の心や頭が整理されて、その後自発的に生み出されるものなのだ。

そうだとすると、コンサル業の肝は、答えを出すことではなくて、あくまで聞き手に徹することなんだろうと思う。つまり、助言上手ではなくて、聞き上手が、売れっ子コンサルタントになる秘訣なのだ。


僕の従来のコンサルへの不満は、「だったらお前がやってみろよ」という思いから生まれたものだったが、何も助言するばかりがコンサルではなかったのだ。

人の話を聞くのは大変に労力がいるし、真剣に相槌やとりまとめをするのも容易ではない。これは完全に対価を貰わねば割に合わない仕事である。

人はみんな自分の話を聞いてもらいたがっている。だとすれば、その需要にきちんと答えるビジネスが成立するのは自明の理であろう。

僕自身は人の話を聞くのは嫌いではないが、コンサルするよりは自分で動きたいタイプである。けれども、コンサルを求める人たちがいて、きちんと人の話を聞こうという人がいる。そういう現実はしっかりと理解しておきたいと思うのだ。




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