自分らしさっていう形のないもの

就職したてのころ、当然のことながら、会社に貢献できるような技術はなくて、知識も浅くて、あるのは若さだけだった。

FAXのやり方もわからず、コピーを取るのも手間取り、外国人から電話には対応できなかった。

先輩の仕事の先を読んで行動するといった気の利いたこともできなかったし、人見知りだったし、うまく愛想笑いもできなかった。


学生時代は、自分と似たような友達がたくさんいて、その中の僅かな差を見つけて、自分の個性を推し量っていた。あいつよりしゃべりはうまい方だが、緊張するタイプ。合コンでは面白いと言われるが、けっしてモテない。メンタルは強めだが、体力にはあまり自信がない。・・・など。

でも、そんな仲間内での個性などは、社会に入った途端、簡単に消し飛んでしまったように思えた。


希望の業界に入ったのはいいけれど、そこではそれまでの自分が全く通用しない。自分はできるヤツだというプライドはあったが、それはいとも簡単に傷ついた。

そして、就職して二カ月くらいたった日から、ご飯を食べると、胃に激痛が走るようになった。医者に行くと、胃が荒れてますね、と。生まれて初めて、ストレスから体に不調を起こしたのである。

胃薬は手離せなくなり、昼食後は食べたものを消化するまでトイレの個室にこもって痛みに堪えた。幸い精神的に病んだりはしなかったが、体にはキタ。ストレスが体にくるタイプだったのだ。

皮肉にも、自分の個性が一つ見つかった。


その後、月日は経って、少しずつ仕事を覚えて、隅っこの方だったが、チームにも加われた気がしていた。気持ちは安定して胃痛も消えた。

ところが、一年経った頃、自分と同じ年の女性が入社してくることで、また自分の中の何かがうずき出す。

彼女は、自分と同じアルバイト待遇での入社だったが、明らかに自分とスペックが違っていた。英語はペラペラ、人一倍気が利いて、明るく、フットワークが軽かった。お酒に強く、あっという間に仲間内での飲み会の常連となった。

彼女はあっと言う間に頭角を現し、その一年後、彼女は社員となった。僕はといえば、アルバイトのまま、待遇は据え置きだった。心に残していたプライドが、また傷ついた。


結局、正社員になるまで丸4年かかった。その間、何人にも社員化の先を越されて、そのたびに胸を痛めた。

社外を見渡せば、当時は就職難で、仕方なくフリーターや契約社員の口で働いていた若い人たちが大勢いた。なので、社員になるのが遅かったこと自体は何とも思っていない。けれど、人と比較して、自分が何者にもなっていないという苦痛は、耐えがたいものがあった。


自分らしさって何だろう? 自分らしく働くってどうやるんだろう?


誰も自分のことなんて教えてくれない。自分が何者かは、自分自身で決めて、それを実現させ、人にアピールして、ようやく他者の中に浮かび上がってくるものなのだ。そう考えた。

僕は何者かになるために、ひたすら考えて、考えて、行動していった。無我夢中で行動することで、人と比べてしまう自分を、少しずつ消していった。


そうやって長い年月をかけて手に入れたものは、「おれはおれだ」みたいな強い自覚ではなく、「まあこれが僕だよね」程度の自己認識だった。

それでも、人と比べて苦しむことはなくなっていた。人との比較の中で個性を推し量ることをやめて、ようやく自分らしさがわかったような気がした。


そして、今ならよくわかる。

個性とか自分らしさとか、誰かと較べてみたところで、もっと強烈なヤツはいくらでもいる。人と比べていては、いつまで経っても自分の個性なんて掴むことはできない。自分らしさは、誰も決めてくれないのだ。

自分らしさとか個性というものは、目には見えないものである。だから、だからこそ、自分で決めて、自分のものにしていくしかない。


この歳になって、そんなことを思うのである。

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