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【マーラー交響曲第2番《復活》 分析編③】第2楽章

こんにちは。《復活》分析編第3回です。
今回は第2楽章について分析していきます。

第2楽章は交響曲第1番《巨人》と密接な繋がりを持っている、

《巨人》で描かれた主人公「英雄」の幸福な過去を回想する楽章

でした。

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第2楽章

ABABA形式

第2楽章の構成

第1部(A)・第2部(B)の音楽が第3部〜第5部(A1・B1・A2)・コーダで変形されて展開されます。

2楽章は「変奏曲」なのか?

曲の構成上「変奏曲」と呼ぶこともできますが、マーラー自身は変奏曲とは考えていませんでした。ブラームスの厳格な変奏曲と比較すると《復活》2楽章での変形はパラフレーズ(原曲を自由に変形・編曲すること)のようなものと考えた方が適切、ということのようです。

ヴァイリストの友人ナターリエ・バウアー=レヒナーとの会話では次のように言っています。

自分の変形は、(ブラームスの厳格な変奏曲のように)同じ音符のまとまりを精密にたどって変形していくというよりも、装飾を加えたり、パラフレーズしたり、音と音とを絡み合わせたりすることである。

実際、第2部(B)スケルツォ的スタッカートの主題ベートーヴェンの『第九』スケルツォ楽章(第2楽章)の主題が引用されています。

主題・動機

レントラー風の主題

レントラー
オーストリア・ドイツ・スイスなどのドイツ圏南部で18世紀末〜19世紀に愛好された舞曲。名称は田舎風の踊りLändlicher Tanzに由来する。3/4拍子・3/8拍子でゆったりとしたテンポが特徴。ワルツの源流と考えられている。古典派ではベートーヴェン、ロマン派ではシューベルト・マーラー・ブルックナーが作曲に取り入れた。特にマーラー・ブルックナーは交響曲中のスケルツォでレントラーを採用している。

第1部(A) Andante moderateで登場するこの主題は、1楽章で墓場に運ばれた主人公の過ぎ去った幸福な日々の名残、とされています。また、マーラーはアンダンテ自体は間奏曲だと明言しています。

(このアンダンテは)第1楽章で墓場に運ばれた主人公の過ぎ去った日々の名残―太陽が彼に明るい光を投げかけていた日々の名残である

1903年3月25日付けのユリウス・ブーツ教授への手紙より

スケルツォ的スタッカートの主題

この主題はベートーヴェンの『第九』スケルツォ楽章である2楽章の主題から引用し、パラフレーズしたものです。

『第九』2楽章の主題はD moll、《復活》2楽章のスタッカートの主題はGis moll なので調性こそ違いますが、確かに似ています。

『第九』スケルツォ楽章の主題

チェロによる主題

第3部(A1)でヴァイオリンのレントラー風の主題に対するチェロに対する主題。主旋律(レントラー風主題)に対して独立して聴こえ、2重主題と言える主題です。

ヴァイオリンとチェロによる2重主題

2楽章の「異質性」

マーラーは《復活》第1楽章・第2楽章の性格が対照を成すよう、それぞれ独立したものとして構想しました。そのため、1楽章と2楽章の間には「少なくとも5分間の」休憩を入れるようわざわざスコアに指示を出しています。

1楽章が《巨人》の主人公「英雄」の死・墓場への葬送行進曲
2楽章がその「英雄」の過ぎ去った過去の幸福の回想

で、この2つの楽章の性格の対照をマーラーは「不一致」と呼んでいました。
2楽章以外の楽章が「主題的にも雰囲気的にも」結びつきが強いことに対して、2楽章のアンダンテはこれらを中断するように単独で存在しているという説明もしています。

こちらについて、バウアー=レヒナーにも似たような見解を示しています。

ハ短調交響曲(《復活》)におけるひとつの欠点は、明るい舞曲のリズムをもつアンダンテと最初の楽章が醸し出すあまりに鮮明な(そして非芸術的な)対立だ。その理由は、僕が二つの楽章をそれぞれ独立したものとして、両者を結び付けようという考えなしに構想したことにある。そうでなければ、少なくともアンダンテをチェロの旋律で始め、そのあとに今の開始部を続けることができたかもしれない。でも、今となってはもう書き直すことは無理だ。

1899年 ナターリエ・バウアー=レヒナーへ示した見解より

2楽章に対するマーラーの見解を見ると、《復活》における間奏曲として他の楽章よりも多少性格が浮いた楽章として2楽章を構想したようですが、結果的にその「異質性」が際立ち過ぎて非芸術的だ、と考えていたようです。

ちなみに、バウアー=レヒナーによれば、2楽章(アンダンテ)は7日間、3楽章(スケルツォ)は同じくらいの短期間で書き上げられたということです。

マーラーのトラウマ

マーラーは1893年〜1894年頃、友人ヨーゼフ・B・フェルスターに新しい交響曲(《復活》)について次のように言っています。

第1楽章は、君も知っている通り、僕の《葬礼》だ。三つの楽章はすでに完成している。第2楽章はゆったりとした楽章で、第3楽章は生き生きとしたスケルツォだ。

1893〜1894年の《復活》作曲中には既に現状とほぼ同じ1楽章〜3楽章の構想が固まっていたにも関わらず、1899年には2楽章はマーラーにとって異質な楽章になってしまっています。

クロード・ドビュッシー, ポール・デュカス, ガブリエル・ピエルネらは、アンダンテ・モデラート楽章(2楽章)は極めて生彩に欠くつまらないものだという見解を示しました。1910年4月のパリでの《復活》の公演で、彼らは第2楽章の半ばで席を立ち、立ち去ることでこの見解を行動で示しました。この行動はマーラーを深く傷つけます。

このようなトラウマ的エピソードのために、2楽章はマーラーにとって非芸術的で異質な楽章になってしまったのかもしれません。

でも、たしかに2楽章は「異質」かも

2楽章はアンダンテ部分が《復活》の中で音楽的にもストーリー的にも異質で浮いている、という話でしたが、2楽章のスケルツォ部分(B部分)を見ても異質さがあるかもしれません。

元々、3楽章がスケルツォ楽章として構想されていましたが、2楽章の中にもスケルツォ的部分が設けられています。それにどちらの楽章もレントラー的な主題を持っていますので、

完全にキャラ被りしている

と捉えることができます。
このように捉えると、2楽章はやっぱり《復活》のストーリー的にも浮いているし、音楽的にもスケルツォ部分が3楽章と被っていて、蛇足感があるとも捉えられるかもしれませんね。

ただし、参考図書の著者、音楽学者コンスタンティン・フローレスは、

アンダンテ・モデラートはまったく月並みな作品などではない。じっくりと注意深く聴く者は、マーラー独特の音をその中に見出すことができるし、分析すればマーラー特有の形式が現れるのである。

としています。

まとめ

今回は、2楽章について分析していきました。
ハモンドオルガンちゃん的にはみなさんに2楽章の「異質性」、特に3楽章とのキャラ被り問題に着目して頂きたいところです。

スケルツォ的スタッカートの主題がベートーヴェンの『第九』から引用されていることも注目しておきたいですね。マーラーがベートーヴェンの『第九』を強烈に意識していたことが分かる部分です。

参考図書


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