東大理III医学部に関する、この記事は、間違いだ!

この記事は、東大理III(医学部)を頂点とするいまの大学入試制度を議論している。
その意味では、正論だ!

ただし、この著者は、勘違いしている。

たとえば、東大理IIIに合格する確率が、18歳人口100万人の0.01%と記述しているが、これは、大きな間違いである。

たとえば、2021年は、

公立高校・・・9人
中高一貫校・・88人

の97人が、合格している。
以前、指摘したように、中高一貫校からの合格者は、29倍も水増し、加工された人材が、入学している。
本来なら入学できない生徒が、多数合格しているのだ!

そうすると、
中高一貫校からの合格者は、実質的に、
2552人 くらいとなる。
さらに、東大理III(医学部)クラスの人材は、巷に、4倍は存在する。(4倍則)

そうすると、結局、確率は、
0.002311
となる。なお、18歳人口は、2023.1月現在、112万人である。

すなわち、東大理IIIの合格確率は、0.01%ではなく、
0.23%である。この記事の0.01%とは、23倍も違うのだ!

なお、東大全体の偏差値は、
63.730〜70.492 
である。医学部除く。
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世の中には、東大の評価を過大視する風潮がある。
兵庫県の灘高校は、目標は、もはや、東大に合格することではなく、国公立大医学部か海外の有名大学である。
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東大の最低偏差値63.730は、東北大の67.164より、かなり、低い。

これが、実態なのだ!

(c)harbeman231117
Deep thinking yields imagination
大谷翔平の2年連続大リーグMVPを祝する日


ーーーーーSmartnewsを引用する。

東京大学理三が象徴する日本の入試制度の遅れ
冷泉彰彦
 東京大学の理科三類(理三)には多くの問題があるのは事実だと思う。それはまた、日本の大学受験制度の停滞という問題を示してもいる。

jaimax/gettyimages

 まず、理三といえば、1962年に設置されて以来、日本の大学入試における最難関として有名だ。定員は長い間80人であったが、近年は100人へと増員されている。いずれにしても、18歳時点で約100万人強ある学年のトップ0.01%しか入れない「受験の頂点」ということになっているようだ。
 近年、この「理三」がやたらに話題になっている。複数の子どもを理三に合格させた親が有名人になったり、思春期のメンタル不調の結果、理三志望を勝手に宣言しておいて勝手に断念し、自暴自棄になって暴力行為に及んだ若者の事件もあった。
 こうした現象に関しては、本来は医学を学ぶと決意した人材が、学びの手段として入学を志すわけだが、その入学が手段でなく目的化していることを示している。とにかく「最難関だから」挑戦してみようとか、受かったら偉いとかいう評価を受けているのは困った問題である。
 それはともかく、現在の「理三」の入試に関しては、やはり問題が多いと思う。3点ほど提言させていただきたい。
東大医学部が〝頂点〟の必要があるのか
 1点目は、これは東京大学の理科三類だけの問題ではないが、どういうわけか大学受験の世界の中で「医学部が偉い」という特別扱いをされているということだ。東大の「理三ブーム(?)」もその延長にある。
 現在の18歳人口は約100万人で、これが18年後には70万人まで落ちる。限られた若者人口の中で、特に優秀な若者が医学界に集中するというのは、果たして社会の設計として正しいのか。改めて問い直す必要はあるだろう。

 2点目は入試の問題である。日本の大学入試は出題範囲が限定されており、筆者の個人的な見解として内容はそれほど難しくないのではないかと思う。数学や理科においては、思考力を試すような良い意味での難問が必要だが、多くの受験生の場合は塾や予備校で類似の問題に「触れた」経験の延長で合格してしまう。
 つまり「初見の問題に解法の道筋を発見する能力」に関する「選別」が十分に働かない。また、そのような「類似の問題を反復訓練する」という頭脳のアイドリング運転に18歳を縛り付けることにもなる。
 世界における同年齢の若者が社会活動、芸術活動、あるいは起業などで時代の先端を疾走している一方で、十代の貴重な時期をそのような「アイドリング運転」で正確さと速度の訓練に精励した「だけ」の若者を生産するのは罪である。また、その結果として、こうした受験制度の成功者は、受動的で現状維持型の人間が高率となる可能性がある。
 現代の医学は臨床にしても、基礎研究にしても、求められる人材像はその正反対である。新たな感染症は新たな社会的対応を求め、そこで混乱を防ぐために必要なのは前例踏襲型の人材ではない。臨床においても、死生観の変容、社会制度の変化、患者や家族の心理などが変わりつつある中で、現状維持型の人材だけでは社会のニーズを支えられない。
 それ以前の問題として、高校の教育課程に限定した出題範囲で選考するだけでなく、もっと優秀な、つまり最先端の基礎研究に関して既に研究テーマや仮説を持っている人材を掘り起こすことも必要だ。いわゆる飛び級というのは、単に学年をスキップさせるのではなく、こうした十代の研究者候補を発掘するところに意義がある。

 そんな中で、ペーパー一発型入試の制度が維持され、その最高峰が医学部であり、その頂点に東京大学理科三類があるという現状は、功罪の両面を厳しく見直す時期に来ているのではないかと思われる。
医学に求められる多様な理科の知識
 もう少し具体的な問題としては、東大理三の場合もそうだが、多くの日本の理科系大学の理科の受験科目数は2科目となっている。共通テストの場合も理科の受験は2科目であって、3科目受験はできない。
 医学系の場合は、多くの場合「生物」と「化学」を選択することが多い。事実上そうなっているし、単科の医科大学の場合にはハッキリと「生物と化学の入試」を宣言している場合もある。
 問題は、それでは足りないということだ。現在の医学の基礎研究においては、研究機関でも、また民間の関連企業でもそうだが、技術革新が大きく進んでいる。具体的には、「生化学工学(バイオ・メディカル・エンジニアリング)」という学問分野が確立している。例えば、コンピューター断層撮影(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)などの大型検査機器から、ウェアラブルなデバイスへのセンサー搭載などもそうだし、人工心臓などの技術もそうだ。
 こうした技術の開発にも、また臨床における活用においても、生物、化学に加えて物理の知識というのは必要である。高校生の段階で、特に入試科目としての理科としては、生物と化学の履修に専念するというのは、現代においては大きな遠回りになっている。仮にも理科系入試の最高峰を自認し、基礎研究と臨床で日本の医学界をリードし続けたいのであれば、入試においては理科の3科目、つまり生物、化学、物理の高度な理解を確認できるような体制が望ましい。

18歳に自らの進路を決めさせて良いのか
 3点目は、これは米国との比較になるが、医学部進学という進路決定を18歳時点で確定させるということの是非を再考すべきだ。米国の場合は、純粋な医学教育は大学院である「メディカル・スクール(医科大学院)」で行う。その前の大学4年生までの段階は「プリ・メド(医科大学院予科)」という専攻を宣言して、専門科目の初歩の単位を集めていき、その上で難関とされる大学院入試を受ける。
 もちろん、18歳の大学出願の時点で「自分はプリ・メド専攻」ということを宣言して入学審査を受ける若者も多い。その一方で、事実上は医科大学院進学という進路は、18歳から22歳にかけて決めていくわけで、必ずしも18歳の時点で決定を迫られるわけではない。生命に関する重要な研究あるいは臨床という厳粛な職業選択に関しては、人間的あるいは知的成熟を待って選択させるのがよく、18歳で選べというのは難しいという観点も必要ではないか。
 また、進路決定にあたって生命に関する現場体験を求めることも必要だろう。米国の場合は、「プリ・メド」専攻を宣言して入学審査を受ける場合は、高校生として医療機関や救急隊におけるボランティア経験をしておくことが推奨される。職務内容は、ストレッチャーを押すなどの単純作業かもしれないが、生と死の問題を扱う人々の表情や現場の臨場感の体験にはなる。

 そうした経験を通じて医療という難しい職業に関する自身のモチベーションを確認させる。そこで、本人が何を感じ、何を考えたかをエッセイや面接で問うことで、適性を調べることができる。
 日本でも、それこそ東大理三の場合は、少し前から合格候補者全員に対して面接を実施しているが、その内容は公開されていない。戦後の長い期間、左右対立の中で政治的な争いの場となってきた東大医学部としては、選考の客観性を守ることが組織防衛の基本だという生存本能が働くのは理解できる。だが、少なくとも高校生の段階で医療現場のボランティアぐらいは求めておいても良いのではないか。もちろん、現場で受け入れが可能となり、高校側でも校則で禁止しないなどの制度改訂が必要となるが、真剣に考慮していただきたい問題だ。
東大の変革推進と周知を
 ここからは推察になるが、東大医学部の現在の教授陣としては、そのような問題点については熟知していると考えられる。だからこそ、全学に先んじて受験生全員の面接を導入しているし、この面接に関しては全学化がされた現在では、理三の場合は更に内容を深めていると考えられる。また専門性を宣言した上での推薦入試も始まっており、医学部志望の学生も入っていると考えられる。
 帰国生入試に関しては、2000年前後に全国の医学部が導入したが、その後、帰国生は日本の医学部の組織風土になじまないので「お互いが不幸になるから」ということで合格者は毎年若干名しか出ていない。だが、少なくとも帰国生入試に関して東大は全学レベルで粘り強く続けており、理三の門戸も開かれている。

 改革は既に動いており、その背景には社会の変化、求められる人材像の変化がある。実際に多くの難関校と言われる私立大学では、系列校からの進学と推薦入試で過半数の進学者を決定しており、従来型のペーパー一発入試で入学する学生はもはや少数派という大学が多い。東大はそこまで進んでいないが、入試の内容が変化しているということには間違いはない。
 であるならば、そのような変更について社会に対して発信してゆくことが必要だ。東大入試は科挙のような資格試験であり、合格することが「手段でなく目的」という悲劇的な勘違いが延々と続いているが、既に実態の半分は「そうなってはいない」のである。そのことをしっかり発信することで、時代の要請に応えられる素質を持った若者が志望してくれるよう、メッセージを明確にすべきと考える。
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