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剛田武事件

 たちの悪い少年達だった。いわゆる不良ではなかったが、迷惑になるかならないかの狭間で馬鹿をする。中学時代の野球部は、面白いことに貪欲な集団だった。

 といっても、仲間内でのしょうもないことばかりだ。学校の催しで張り切りすぎて病院送りにした者や(高橋の拳)、鬼ごっこで自転車を使い隣町まで逃げた者がいた程度である。

 そんな僕らが盛大に叱られたのが「剛田武事件」だ。まだ迷惑という言葉を知らなかった頃の内輪ネタ。今回はそれを書こうと思う。

 幼なじみのタケシはいわゆる「いじられキャラ」だった。周囲で一番言葉の訛りが強く、短気な男だ。からかわれるとすぐ怒り、強い訛りで捲し立てるのが印象的だ。その訛り口調と、いじられてもさほど動じないことで人気だった。

 当時、野球部の間では「遊びに出掛けた先で、特定の一人を放置する」遊びが流行っていた。例えば、食事の際に一人でトイレに立ち、戻ると誰もいなくなっているのだ。そして、オロオロと必死に探す様子を遠くから眺めて笑いあう。なんともしょうもない遊びだ。

 だが、何回か続く度にこの遊びに攻略法が見出だされた。一人取り残されたと分かった途端、帰ればいいのだ。そうしたことで、この遊びは廃れつつあった。

 だがここで仕掛ける側も動き出した。ショッピングモールなどで一人を取り残したあとに、「迷子のアナウンス」を仕向けたのだ。

 僕らの地域はそこそこの田舎で、遊び場は限られていた。中学生にとって田舎のショッピングモールは、何でも揃っている最強の施設だ。電車で1時間ほどの場所だったが、我が校の生徒の休日といえばここに来ることだった。

 そんな場所でのアナウンス。凄まじい速度で周囲に伝わる(あの子が迷子なのね)ムード。田舎口コミでどんどん伝わり、話してもないのに親が知ってるとまでなる。思春期には会心の恥撃なのだ。

 アナウンス攻撃は計三回行われた。一回目は僕がいないときに行われ、二回目と三回目は目の当たりにしていた。二回目は僕が被害者だ。

 その時はどうしても便意を我慢できずトイレに立った。案の定立ち去られていたため、アナウンスのことなど知らない僕は帰ろうとしていた。そして、店内にアナウンスが鳴り出した。

○○市よりお越しの~

鮫島 ヒデキくん~  鮫島 ヒデキくん~

叔父の名前が聞こえてきた。

何故叔父の名前が??同姓同名なのか???もしやあいつらの仕業では???俺叔父にシバかれるのでは??

 混乱しながらサービスセンターに向かうと、馬鹿どもがニヤニヤしながら待っていた。とりあえず叔父が迷子じゃなくて安心した。適当な面白そうな名前として思いついたのがヒデキだったようで、偶然叔父の名前になったらしい。

 そして三回目。ターゲットはタケシだ。タケシも僕同様、アナウンスのことは知らなかった。皆でタケシを振り切り、サービスセンターへ向かう。このとき、仲間内にはリーダーがいて、だいたいの遊びの発案者は彼だった。僕は彼から放送者として指名された。正直、前回やられた側として非常に面白かったため、もうノリノリだった。

 サービスセンターのお姉さんに、友達と離れてしまったため呼び出してほしい、とタケシの親父さんの名前を告げる。しかし、何分待ってもタケシは来ない。リーダーが次弾を装填した。

「おい、次は剛田武だ。いけいけいけ!」

 もはや敏腕プロデューサーばりの指揮だ。再度サービスセンターへ向かい(同じ人物が違う友達を呼ぶ時点でアホ)、精一杯の真顔で名前を告げた。

○○市よりお越しの~

剛田  武くん~ 剛田  武くん~


通りすがりの女子校生が「ジャイアンじゃんw」と呟いた瞬間、辺りは笑いに包まれた。タケシも「ジャイアンじゃねぇよォ~」と笑いながら戻ってきた。

 後日、関わった全員が学校から呼び出された。「分かってるな?」といった雰囲気から大説教祭りが開催された。先生方は「剛田武を呼び出しただろ!!!」と真剣に我々を問い詰めた。(ウンガロのスタンドか?とか思ってはいけない)

 結局、野球部の同期ほとんどが関わっていて、一週間は練習せず清掃活動を行った。放送した三人はグラウンドに半日立たされた後、清掃した。モールは一時出禁になった。

 以上が「剛田武事件」だ。読者諸君には、こんな迷惑でしょうもないことはしないでほしい。だが、しょうもないことをできる友達が、何人かいて良かったと思う。

 この事件の影響で、アナウンスが流れる度に聞き入る癖がついてしまった。あの日の剛田越えは、まだない。

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