コンテンツとコーチングと。誰かの物語が人の変容を後押しするということ
人事、組織開発、マネジメントあたりの仕事をしていると、人の変容について考えることが多い。
ここ数年、「人は本質的に変われるのか。変われないのか」の思考論争を自分の中で何度も繰り返していた。それは、チームメンバーのマネジメントにおいて、どちらの世界線にも美学があって、優劣ではないから。
去年の私の思考はこんな感じ。ここからの思考の変化は長くなるので、今日は割愛することにする。この思考論争に一つの解をくれたのが、僕にとってはコーチングだ。
「安心とは変化を求めないことである。」という話を精神科医の先生から昔聞いたことがある。心理的安全な場が個人の変容を後押しすることは、自分が運営するコミュニティでもまさに体感をしている。
哲学的な話になってしまうが、「変化を求めないこと」と「共にいる安心感」が、自己との向き合いを後押しして、結果的に変容に繋がるということをコーチングを通して再確認した。
そのゆるやかな変容を自分に照らし合わせてみたときに、自分自身がコンテンツに影響を受けて、変容していく感覚に近いものがあるなと感じた。
今日はその話を書いてみたい。
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「持たざるもの」のストーリーに惹かれる自分
小さい頃からゲーム、アニメ、漫画といったコンテンツが大好きだった。
嬉しいと思ったとき、悲しいと思ったとき、変わりたいと思ったとき。自分の感情を確かめるようにコンテンツにのめり込んだ。
小さい頃から他者の目を気にしながら生きてきた私にとって、何もかも忘れてコンテンツに没頭できる時間が好きだった。
コンテンツに何度も助けられた。コンテンツに何度も背中を押してもらった。物語に出てくる登場人物の生き方や言葉に心を強く動かされた。
数多くのストーリーの中でも、
「持たざるものが自分自身とまっすぐに向き合い、成長していく物語」
が大好きだ。
なぜ惹かれるんだろう。それは純粋に物語と自分自身の人生を重ねているからだと思う。葛藤の中で生きていく人の物語に美学を感じる。そして、僕も彼・彼女らの様になりたいという強い憧れがある。
その重なりから生まれてくる物語や言葉が、自分自身を奮い立たせる。コンテンツに没頭している瞬間は、自分自身になれている気がするから。だから、僕はコンテンツが大好きだ。
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クロノ・トリガー(カエル)とダイの大冒険(ポップ)
持たざる者の話として、僕が大好きな2人のキャラクターを紹介したい。というかさせてほしい。
クロノ・トリガーのカエル(グレン)が好きだ。
まだ彼が人間(グレン)の姿をしていたときに、勇者サイラスと魔王に挑むが、戦いの中でサイラスは戦死し、グレンたちは魔王の前に敗れてしまう。辛うじて生き延びたグレンは、その時に魔王によって、蛙の姿に変えられてしまう。何もできなかったグレンをあざ笑うかのように、臆病な様子を揶揄して。
その後、彼はその容姿と魔王を討ち損じ親友を失った悲しみから、森の奥で隠居するようになり、戦いから距離を置くようになる。10年の月日が経ち、そんな彼のもとに、サイラスの形見の武器であるグランドリオンを持った主人公が訪れ、もう一度一緒に魔王と戦おうと声をかけられる。
彼はこれまでの挫折を乗り越え、サイラスの形見のグランドリオンを手にし、もう一度魔王と戦うことを誓う。
そして、物語の中盤で魔王と再度対峙したときに、魔王から「(カエルの姿になって)どうだ、その後の人生は?」と問われ、カエルはこう返す。
小さいころにいじめられていたグレンは、「なんでやり返さなかったんだ?」と聞かれて、「でも、相手もぶたれたら痛いよ」と返答する。グレンは温和な人格で誰よりも戦いを望まない性格だった。そんな彼が強くなり、大きな挫折を経験した後も、再度立ち上がり、自分自身と向き合う。最終的にはカエルになった自分の容姿さえ、自分の人生に意味があったことだと肯定する。
なんて美しいストーリーだろう。彼の姿や言葉に心が震えた。
そんな勇ましい彼の姿を表現した彼のテーマ曲「カエルのテーマ」が、東京オリンピックの入場曲で採用された。涙が止まらなかった。最高にいい曲なので、是非聞いてほしい。
自分の大好きなものが世の中に出た思うのと同時に、カエルの人生そのものが皆に称賛された気がした。
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ダイの大冒険のポップが好きだ。
ポップは勇者ダイとともに、元勇者のアバン先生のもとで修業を行う。一生懸命取り組み、徐々に力をつけていくダイとは裏腹に、ポップは少し厳しい課題を与えられるとすぐ諦め、修行に本腰を入れずにいた。
作中でも序盤はヘタレキャラとして扱われることが多く、情けない姿が数多く描かれる。ポップは持たざる者として生まれた自分にどこか限界を感じていたんだと思う。
そんな彼は物語が進むにつれて大きく成長していく。ダイの大冒険はポップの成長物語と言われるほどだ。
ポップは序盤に強大な敵を前にして逃げ出してしまう。しかし、このまま死んだら後悔すると感じたポップは、仲間を救いに戦いの場へと戻る。
ポップが勇気を振り絞って戻ってくる瞬間。その言葉に心が熱くなった。
それ以降、ポップが逃げることはなかった。ダイを守るために自分が犠牲になって死のうとしたこともあった。戦いをやめたいと弱音を吐いたダイの横で、「俺は1人でも戦う」と言ったこともあった。ポップの勇気を誰もが認めていた。
そんなポップに、作中後半に最大の試練が待っていた。大魔王が待つラストダンジョンに行くためにはミナカトールという大魔法を発動する必要があった。ミナカトールは勇者パーティー5人の力が必要で、それぞれが持つ心の力に聖なる意思が反応して(光って)、発生する呪文だ。しかし、なぜかポップの石だけが光らなかった。
紆余曲折あり、ポップは聖なる石を光らせることに成功するのだが、ポップの心に反応した光は「勇気」だった。誰もが、勇気の光は勇者ダイの光と思っていたが、ダイではなくポップが勇気の光らせるという演出に胸が熱くなった。
誰よりも勇気がなかったポップが成長して、最期には勇気の光を輝かせる。結果として、賢者(回復呪文も使えるチートキャラ)もとい、大魔導士へと覚醒する。
なんて美しいストーリーだろう。そんなダイの大冒険は、絶賛アニメでリニューアルされていて、終盤戦に来ているので、是非みてくださいな。
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コンテンツとコーチング
僕が好きな2人のキャラクターのストーリーには共通して、人の葛藤と変容の美しさが描かれているように思う。彼らが変容していく姿を見て、自分自身も変わりたいと純粋に思えた。
僕から溢れた感情は、自分の人生を誰かの物語に投影させて、その重なりから生まれたものだと思う。重なりをきっと「共感」と呼ぶんだろう。その感覚は、コンテンツの登場人物であれ、実在する人物であれ、きっと同じなんだと思う。
自分が共感する人物・キャラクターの物語が自分の心を動かす。心が動いたその先には、自分自身で蓋をしていた言葉にならない感情がある。その溢れ出す感情が自分自身の行動を促すとてつもないエネルギーになると僕は思っている。
言葉にならない感情に耳を向けるという点において、コンテンツがもたらす変容はコーチングとどこか似ていると思う。
対話の中では、自分の知らなかった自分や目を背けたい自分に出会う。その旅の過程で、自分の感情を取り戻し、自分になっていく。
誰かに押し付けられるでもなく、自分の中で意味性を見い出し、変容に繋がる。拡大解釈かもしれないが、この緩やかな変容がコンテンツによる変容と似ている様に僕は思う。
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自分が惹かれるストーリーは何か
コーチングをさせていただいて思うことは、コーチの自分自身が一番変容しているのではないかということ。それはコンテンツに惹かれるようにクライアントの物語にも惹かれることが多いから。
人生そのものがコンテンツで、そこにはその人だけのストーリーがある。コーチングの数だけ、無数の物語に出会う。
僕は葛藤の中に生きる人の物語を美しいと思う。その過程を一緒に歩めると、とても嬉しい。変容の過程には、その人自身の物語がたくさん詰まっているから。
人それぞれ惹かれるストーリーは違う。自分が惹かれるストーリーは何か?を探求していくことは、まさに内省(自分と向き合うこと)そのものだと思う。
カエルとポップの良さを伝えるつもりが、なんか途中から急激にエモイキャラになってしまった。すごく恥ずかしいので、最後に自分が好きなキャッチコピーを紹介して終わりにしたい思う(笑)
「同じって嬉しい。違うって楽しい」
(ばいばい)
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