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逃げ癖

突然だけど、僕はかなりの妄想族だ。

僕はよく「○○だったら」とか「○○な人だったら」など、妄想にふけている。

最近は、自分が「バチェラーだったら」という妄想が一番多いw
不毛すぎるが、こういう妄想が一番楽しい。

僕の妄想の中で、他によくやるのが

「タイムマシンがあったら、僕はどうするか」だ


タイムマシンがあったら、僕はどこに戻って何をするだろうかをよく考える。考える戻り先は、きまって僕が今後悔している地点だ。

僕の人生は後悔の連続。
「あーしてたらよかったー」なんて、言うのは山ほどある。

これは自己肯定感低い人あるあるっぽいよね。

僕は今までの人生で「逃げの選択」をしたことがいくつもある。
自分の心の弱さが問題だ。


その中でも、高校のサッカー部時代のことが大きい


僕は、小中高とサッカー部だったんだけど、小中はずっと補欠だった。
ベンチをぬくぬくと温めていた。

今思っても、何で辞めなかったか解らないんだけど、試合にも出ないのに、休むことなく欠かさず、練習に行った。

サッカーが特別好きだったわけでもない。

それよりも、サッカー部というコミュニティから自分が抜けるのが怖かったんだと思う。

試合にも出ない僕のために、どろどろになったユニフォームを洗濯したり、弁当を作ってくれる母の姿は見るのがいつも辛かった。

だからといってめっちゃ頑張ったかというとそうでもないんだけど。

高校に進んでもサッカーは辞めなかった。
もうここまでくると、逆に他のことにチャレンジできない。

高校は結構自分なりに頑張って、なんとか高校2年生の時にレギュラーになった。

これは結構嬉しかった。
試合の日は自分もアップができるし、メンバーとサッカーの真剣な話ができる。こんなのは始めただった。

中学の時は、補欠はアップすらさせてもらえないのだ。

あの頃、始めてサッカーが楽しいと思った。

少し話は変わって、高校サッカーというのはめんどさいことに、冬の大会が一番大きく、高校生の本番だ。厄介なことに、大学の試験勉強のタイミングとまるかぶりなのである。

僕の高校は進学校だったから、夏のもう一つの大きな大会で、半分以上の3年生が引退する。そして、冬の大会は2年生で挑むのが通例だ。

ただ、僕達の学年はなぜかやる気が多い人が多く、3年生の夏の大会で引退せず、8割以上の3年生が冬の大会まで残ることを決めた。

夏の大会まで、僕はレギュラーだったので、当然僕も「残るか?引退するか?」の選択を監督からせばまれた。

そして、皆が残るという理由と監督の熱意により、僕は「引退せず続ける」という選択をとった。

この選択が間違っていた。
自分で決めたわけでもなく、周りがそうするからという理由で意思決定をしたので、自分でも違和感を感じていた。

そんな中途半端な意識のせいか、夏休みに入った頃、僕はどんどん調子が悪くなった。メンバーからも監督からも、ミスを指摘されるようになり、ボールを蹴るのが怖くなっていった。

自分にボールが回ってくるのが怖いのだ。
相手チームも僕にボールが回ってくるのを狙っていたかようにプレッシャーを与えてくる(これは錯覚?)

どんどん調子が悪くなり、僕はついにベンチに入ることも多くなった。
高校2年生後半からずっとレギュラーだったけど、始めてベンチに座るようになった。

僕は急に怖くなった。

人は一度心地よい環境を手に入れてしまうと、それが失われるのをとてつもない恐怖に感じる。僕は自分が手に入れた環境を失う恐怖を始めて感じた。

特に、僕は高校では人気者で結構モテていたので(自分で言うな)、ベンチに座っているところを他の人に見られたくなかったのだ。

「加納君ってベンチらしいよ」


みたいな話をされるのがとてつもなく怖かったのだ。

ベンチに座ることで、何もかも失うように感じた。
とわいえ、自分で辞めるというほど、意思も強くない。

そこで、僕は人生で一番後悔が残る意思決定をする


「怪我をしたという嘘をついて、やむを得なく引退する」



こうすれば、誰も僕を攻めないし、僕も悪くない。
完璧の言い訳の出来上がりだ。

当時はまだレギュラーギリギリだったので、僕がレギュラーじゃなくなったという噂もながれないだろう。

一応、言い訳で言っておくけど、怪我のことは100%嘘ではない。
僕は昔から、膝をだいぶ故障していて、レントゲンを撮り、病院で診てもらえら、ドクターストップを食らうのはなんとなくわかっていた。

だけども、当時は全然ひざはもう痛くなかったので、問題なくプレイできていた。

ここで、膝の爆弾が再発したという「嘘」ができあがった。

2つの病院に行って、レントゲンを撮ってもらい、医師に診てもらった。

僕が異常に痛がる姿と、レントゲンの結果を見て、案の定ドクターストップがかかった。僕の演技勝ちだ。

完璧な嘘ができ上がると、僕は泣きながら

「これ以上皆とサッカーを続けられない」

とメンバーに報告した。

メンバーも昔から、僕の膝のことは知っていたので、誰も文句は言わない。むしろ、泣きながら見送ってくれた。

完璧だ。。。。。
我ながら最高の計画である。

完璧にできあがった言い訳とは裏腹に、僕は心に一生の傷を負う。
自分で嘘をついておいて、人を傷つけながら、自分が傷つくなんてご都合主義にもほどがある。

今当時の自分を思い出しても、自分の情けなさに笑えてくる。
でも、不思議と当時の自分を攻め切れないのだ。

この嘘は僕が自分を嫌いなことに、更にブーストをかけた。
それ以前から結構自分が嫌い(そもそもずっと補欠だったし)だったけど、更に自分のことが嫌いになった。

そして、この出来事を期に僕は大事な時に逃げてしまう「逃げ癖」がついた。

人は自分の名声や居場所を守るために嘘をつく
AGFをうつ病で辞めた時もそうだ。

しかし、その嘘はまわりまわって、自分を苦しめる

「嘘をつかずに生きることが一番大事」


偉い人は良く言ったもんだ。
本当にその通り。

嘘は自分を嫌いにさせる。自分の視界を奪う。
気づくのに、30年かかってしまった。

僕はありがたいことに「さらけ出しを肯定される仲間」に出会うことと「自分のことを書く」ことで気づいた。このことはまた別の機会に書こうかな。

嘘が少なくなった最近の自分は結構好きなのだ。
これからも、「書くこと」で自己理解をもっと深めていければと思う。

(ばいばい)



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