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理解してもらえないことへのいら立ち

僕は実家ではすごく変わり者だ。

新卒で入職した大企業を数年で辞め、その後入職したミドルベンチャー企業も数年で辞め、現在は3社目でスタートアップにいて、大学院にも通っている。

経歴だけを見ると、よりチャレンジングな環境を求めている、そこそこ意識高い系男子に見えるかもしれない。実際はそうではないんだけども。

ただ、地元でずっと同じ企業で務めた親族たちからはただの変人としか思われていない。

地元和歌山で生まれて、和歌山で就職し、和歌山で子供を産み、家族を持っている高校時代の友人と比べられ、大阪で就職をしている姉と比べられる。


ここ数年間はこの環境がとてもつもなく嫌で、実家に帰るのがおっくうだった。

自分が何を考えて、何をしているのか説明してもわかってもらえない。

あまりにも考え方と環境が違いすぎた。

実家で仕事論や子育て論について話をしても口論になるばかりだ。
会話のすれ違いにいらだちを感じることがしばしばあった。

どうしてわかってもらえないんだろうか。
理解してもらえない環境にイライラする。



◇◇◇

だけども、今回の帰省で、親にぼそっと言われた。


「お前は何やってるかも、考えもようわからんけど、一生懸命に頑張ってることだけはわかっているよ」

すごく嬉しかった。
自分のやってきたことが少しだけ理解してもらえた気がしたから。

誰かにわかってもらえることってこんなに嬉しかったっけ。


少しわかったことがある。


自分の根本には、親に自分の考えを分かってほしい
認めてほしいという願いがあることを


僕はわかってもらえないことを家族の思考力のなさにして、半ば馬鹿にしていた。

どうせわかってもらえないだろうと思っていた。

でも、それは完全に言い訳で、解ってもらえるだけの努力を自分ができていなかったからかもしれない。

その努力から目を背けて、環境のせいにするのはもうやめようと思う。

◇◇◇

新卒の頃は親を喜ばせようと思って、大企業に入った。ただそれがあまりに環境が合わず、うつ病になって退職をした。

そこから自分の人生とは何かを考えて、自分でやりたい道を選択してきた。
結果として今の自分に至る。

今、一周回って原点回帰をしようとしているのかもしれない。

当時からは、親のしわの数と白髪の数が大きく変わっている。

いつしか、「自分がやってきたことはこれだよ」と親に胸を張って、説明できるようなそんな努力を続けていきたい。

(ばいばい)

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