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『独り』を強く感じるアラサーについて

 私は29歳のアラサーだ。アラサー時代を過ごすのは私だけではなくて、ほとんどの人に訪れる。そんなことは誰もが分かっている事実だ。だけど、なぜだか『独り』を強く感じてしまうのがアラサーだなと思っている。そんなアラサーの心を生々しく言葉にして書き連ねていこうと思った。残り少ないアラサー時代を楽しむために!!

 まず、アラサーと一言で言っても25歳から29歳と5年間の幅がある。様々な状況が影響をしているという事を踏まえた上で、私が一番『独り』を感じたのはアラサー後期の28・29歳だった。理由を考えてみると世界情勢の影響もあったが、それより強く感じたのは「選択すること」が増えたからのように思う。なぜ「選択すること」が『独り』を感じるのかというと、自分の心に問いかけをするからだ。確かにそれまでも沢山の選択を積み重ねながら生きてきている。何を食べようか、どこに行こうか、と自分と二人三脚で生きてきてはいる。しかし、なんといっても選択の重みも振り幅もこれまでとは大きく変わってくるのがアラサーだと思う。例えば、結婚したり家を買うとなると大きなお金が動いたり周囲の人への影響が出てくる。もちろん助言やアドバイスをもらうこともあるが、それを自分で決断し選択していくことが必要になると、そりゃ、自分への問いだとしても根掘り葉掘り聞きたくなる。自分の心にどうするか、と疑問を持ち続けることになる。そんなときに『独り』を強く感じるのだろう。


 私が直面した『選択』は、「人間関係」だ。小さい頃から宴会の雰囲気が好きだったので、週末には飲み屋に行って周囲の人とお酒を飲む事を楽しんでいた。積極的に人を誘うタイプではなかったけど、誘われたらフットワーク軽く出かけることも多かった。その分誰かに依存することもないし特別大事にすることもなかった。あるとき、興味もなく楽しくもない人と会っている自分に疑問が湧いた。「なんのためにこの人との時間を過ごしているのだろう?」そう思ってしまってからは、会う人会う人を審査するような気持ちを持つようになってしまっていた。

 人間関係を選択する時間は、本当に独りだった。初めは、自分がこの人と会いたいと思っているのかわからなくて友達に聞いてみたり、自分の理想の関わり方を相手に訴えてみたり、人を通して自分を知っていくということもあった。でも正解なんて当たり前にそこにはなかった。自分と向き合ってからは戦いのような日々だった。会いたいような会いたくないような…嫌いじゃないし好きなんだけどなんか違う…、という微妙なラインも沢山あった。考えても考えてもグルグルと思考がまとまらず眠れないこともあった。しかし、独りの時間を重ねていくうちに自分の「不快」にはっきりと気付くようになった。この感情に気付いてもなかなか行動に移すには時間がかかったが、一つ一つ救いあげるようにしていくと、今ではもう自分に問いかけなくても肌感覚で選択できるようになった。「人間関係の選択なんてひどい!!」と思う人もいるだろうが、私にとっては心地よくない人間関係を持ち続けることの方が疑問だった。そんな経験をしたもんだから、何かざわつきを感じると、独りになりたいと思うようにすらなっていた。

 「選択する」という経験を通じて、世間一般に言われる『独り』と私の感じる『独り』には違いがあるなと今は感じる。それは私が特別なのではなく、『独り』に向き合い自分なりに意味を見出してきたからなのかもしれない。『独り』を強く感じるアラサーだからこそ、その時間の大切さや活用方法を知っておくのは、年齢らしい美しさやたくましさを持つための一つの方法なのかもしれない。そして『独り』とこれからも良い関係で人生を楽しんでいきたいと強く思う。



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