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Dr.本田徹のひとりごと(70)2017.7.7

SDGs (持続可能な開発目標) と国際理解教育 ~台東区立忍岡小学校で、授業の機会を与えていただき、考えたこと~


ようこそ忍岡小学校へ

1.忍岡小学校とは

台東区には、創立が明治8年で142年間という、都内でも指折りの長い歴史をもつ、忍岡(しのぶがおか)小学校があります。池之端に位置し、不忍通りを隔ててすぐ不忍池や上野公園に接するという、恵まれた環境に置かれた学校です。私は3年前からご縁があって、1年に1度、6年生の授業で1時間(正味45分)お話をさせていただいています。なぜ忍岡小学校について「恵まれた環境」というのか? それは今日の「ひとりごと」の主題であるSDGs (Sustainable Development Goals:持続可能な開発) にも関係が深いことです。この学校の子どもたちは、生物の観察や歴史の学習を、上野公園という豊かな自然と歴史が息づく場所で、実物に即して、行うことができるからです。

 校長の吉藤玲子先生は、明るく、エネルギッシュで、温かい配慮に満ちた方です。ご自身学生時代に、当時日本列島の住民や自然を苦しめていた公害や環境破壊の問題に強い関心をもち、水俣まで出かけ、故・原田正純先生の知遇や薫陶も得たという探究心旺盛な方でもあります。また大田区などでの教員経験もおありとのことで、さまざまに困難な家庭環境で育つ現代の子どもたちへの、共感や理解も深くもっておいでです。

 忍岡小学校は、平成28年、29年度の台東区教育委員会研究協力学校になっています。その研究テーマとは、「学ぶ意欲をもち、グローバル化する国際社会を生き抜く子供の育成 ~ 『伝統・文化』、『国際理解』の学習を通して」ということだそうです。

伝統・文化とは、
「・長い年月を経て、日々の中で様々な形で伝わってきたもの。
 ・現代において評価され価値のあるもの。 
 ・新たな文化となって未来へ受け継がれるもの。」とされます。

そして国際社会で必要とされる能力・態度とは、
「・異文化や異なる文化をもつ人を受容し、共生することのできる態度・能力。
 ・自からの国の伝統・文化に根ざした自己の確立。
 ・自らの考えや意見を自ら発信し、具体的に行動することのできる態度・能力。」とされます。
(いずれも東京都教育委員会資料)
 
 なるほど、合点の行く考え方だと、私は思いました。そして、こうした研究テーマを子どもたちと父母、先生がたが共同で進めていく上で、忍岡小学校はとても恵まれた自然と歴史の環境下にあるということは、さきほど述べたことからも理解していただけると思います。

2.私の授業内容

7月1日は父母の授業参観の日でもあり、各学年の授業は基本的に保護者にも開放された形で進められていました。私は、「つながりあう世界 ~ NGOとは?」といったところから始め、世界、とくに開発途上国の子どもたちが、日々どういう生活や学びをしているかを、タイや東ティモールなどの国を例にとってお話しました。

エルメラ県の小学校での栄養ゲームの様子

 東ティモールでは、小中学校での学校保健活動に、いかに子供たち自身が主体的に参加し、手洗いや食・栄養やマラリアなどの病気の予防について学び、それらの知識や実践を、一種のChild-to-Childの活動としても、地域に伝えている、といったお話をしました。いつも定番となっている寄生虫(回虫)のところでは、回虫自体を見た子どもはもういませんので、写真を見せると、「スパゲッティ?」と声をあげたりする子がいたりで、それがおなかの中にいる虫だということを知るとみなびっくりした様子でした。

私自身が、遥か昔、回虫少年だったこと、チュニジアで青年海外協力隊の医師として働いていたとき、仲良くしてもらった村の校長先生が、息子のお尻から出てきたサナダムシ(条虫)をホルマリンの瓶に詰めて、大切なコレクションとして、授業に活用していたことなどを懐かしく思い出しました。

回虫についてのエプロン・シアター (東ティモール・エルメラ県)

一方で、タイの田舎では、今、Buddy Home Care(バディBuddyは仲間、友だちの意味)という、保健ボランティアのおばさん、おじさんと10-15歳くらいの子どもがペアを組んで、高齢者や障害者の家を訪ねて、話し相手になったり、マッサージや散歩の同行といった簡単な在宅ケアの担い手になっているといったお話もしました。台東区でも、近年学校レベルで、認知症サポーター制度というものが、試験的にスタートし、認知症当事者の方がたや病気そのものへの理解を、先生がたや父母、子供たち自身の間でも広げていこうという動きになっていると、吉藤先生はお話になっていました。

Buddy Home Care: 自宅を訪ねてくれたBuddyの子どもをハグするおじいさん

  台東区内には山谷地域というところがあり、かつて日本の高度成長時代(昭和30-50年代)に、首都高速道や新幹線、東京タワー、高層ビル群などの建設に献身してくれたおじさん、お兄さんたちが、いまや高齢化し、住んでいる町があることや、その人たちの日々の生活や療養を支えているボランティアや看護師さん、ヘルパーさんたちが活動する様子なども伝え、彼らに隣人として接し、理解してもらうように努めました。

山谷で空き缶集めをして生計を立てるおじさん

3.SDGsと緑のカーテン

 最後に、私はまとめとして、「21世紀に地球市民として生きる君たちへ」という題で、2015年から世界全体の目標となったSDGs(持続可能な開発目標)のことをお話しました。考えてみれば、SDGsは単なるお題目ではなく、日々の生き方・暮らし方そのものであり、そこから出発して、地球の環境や生物多様性といった大切な課題に取り組んでいく活動そのものなのだ、という思いを、忍岡小学校の取り組みや、先生方や生徒、父兄の問題意識にも感じ取ることができました。
 
 7月1日の上野は梅雨の天気で、けむるような雨天の中、校舎の壁面を覆う、琉球朝顔の緑のカーテンの鮮やかな緑と藍のすずしげな美しさに、私は目を奪われました。

忍岡小学校の校舎を覆う緑の美しいカーテン

日本でも指折りの夏の酷暑に悩む熊谷市などが、自治体をあげて、こうした蔦科の植物を上手に利用して、あちこちの公共の建物や個人宅に緑のカーテンを作ることを、奨励し、コンテストを行い、町の景観をよくするとともに、地球温暖化現象を少しでも和らげ、市民の意識を高めていこうとしているのも、SDGsの活動として有意義なものだと思われます。

忍岡小学校がいかに地域で愛され、住民の誇りとなっているかは、この日の保護者の方々の熱心な参観の様子からも知ることができました。こうした伝統と歴史のある学校で、あらたに国際理解や環境保全、生物多様性保護などの活動が進み、次代を担うすばらしい地球市民の子どもたちが育っていくことを祈って、私は学校をあとにしました。

SDGsのシェーマ

2017年7月7日


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