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Dr.本田徹のひとりごと(35)no.2_2011.4.12

気仙沼からの報告(3)

前回のコミュニティ調査の報告について一つ申し添えたいことがあります。調査の準備作業段階では、シェアから派遣された城川さん、大木さんが大きなリーダーシップと調整能力を発揮してくれましたが、実際の調査活動にあたっては、市役所はもちろん、市立病院の横山先生、地元の保健師、ケアマネジャー、そして兵庫県、宮城県、埼玉県などの自治体からの支援チーム、巡回診療隊の医師や看護師ら、さらにボランティアの医学生ら、広範な方々のご支援、協力・参加をいただいたことです。今後、これまで行われた調査を整理、分析し、どのように住民のかたがたにお知らせし、健康改善に役立てていくか、さらに調査地域を広げていくべきかなど、関係者で協議しながら進めていくことになるでしょう。

 さて、今回の私の気仙沼行きの大切な目的の一つは、大島を除くと気仙沼地域で唯一の訪問看護ステーションである南三陸訪問看護ステーションをお訪ねして、所長さんはじめスタッフのかたがたとお近づきになり、彼らが今置かれている状況を把握し、相手側が必要とし、こちらとして協力させていただけることがなにかを探ることでした。幸い、台東区の訪問看護ステーションコスモスが、新潟県中越地震(2004年)後の保健支援活動のときと同様、シェアに全面的に協力してくださることとなり、その意味で非常に心強く感じていました。2つのステーションが協力しあえれば、すばらしい展開になるかなと思えたのです。
 すでに、先発隊のシェアの小林事務局長が、ステーションの仮住まいしている、特別養護老人ホーム「キングス・タウン」をお訪ねし、施設長の森さんやステーションの所長遠藤さんとお話し合いをもっていました。その中で分かったことは、ステーションの車が4台中3台まで津波で流されてしまい、訪問看護活動に重大な支障をきたしていることでした。早速、小林の方で岩手県一関市のレンタカー会社と交渉し、新車3台を確保し、4月4日無事引き渡すことができました。そのことは、4月6日付けの事務局・飯沢の報告にもあった通りです。 
 私は、4月5日、医療的な処置の必要であった、在宅の患者さんら5名を、ステーションの看護師、松岡さんと熊谷さんに同行して、診察させていただくことができました。熊谷さんは新人でしたが、松岡さんは、ベテランの訪問看護師で、お二人とも、温かい、誠実な人柄が光り、ナースとしての感性もすぐれた人たちです。とくに松岡さんは、褥そう(床ずれ)の処置や排便介助、膀胱留置カテーテルの扱いなどにも習熟されていて、患者さんに苦痛を与えず、的確に看護行為をされていることが素晴らしく、水準の高いステーションであることを実感しました。もう一つ強く印象づけられたのは、各家庭における介護力の確かさです。もともと、この地域では、高齢化率は30%を越えて都内区部より高くなっていますが、山谷地域のように、高齢者の一人暮らしが基本ということはなく、かなりの家庭で、患者さんの配偶者(妻、時に夫)や娘さん、お嫁さんらが、手厚く看取(みと)りをされていたのが印象的でした。したがって、訪問看護の関与の仕方も、家族介護の足りていないところを補うといった、良い意味で抑制的なもののようでした。

新しい訪問用の車の前での松岡看護師

 その日の夕方、遠藤所長と千葉副所長が、3月11日の運命のときまでステーションがあった、気仙沼港そばの仲町界隈を見に行くのに同行させていただきました。所長さんにとって、罹災後初めての訪問ということで、当然のことながら、つらいところもおありだったと思います。
実際、仲町一帯は、もともと、漁業水産関係の施設、各種商業施設、そして飲食店などが立ち並ぶ、にぎやかな場所だったようですが、大津波の直撃で、すべてが薙ぎ払われていました。訪問看護ステーションの建物も、完全に流されてしまっていて、トイレの基礎部分がわずかにそれとわかっただけで、あとは、家具はもちろん、訪問看護師にとって命の次に大切とも言える、患者さんのカルテ一つ、ファイル類一つ残されていませんでした。まだ地面も瓦礫と泥を含んだ海水でぬかるみ、長靴を履かなければ歩けず、戦場の跡のような荒涼たる眺め拡がっていました。

あたり一帯津波で薙ぎ払われ、トイレの基礎だけ残ったステーション

こんなにたいへんな試練に遭いながら、気持ちを前向きに持ち、しっかりと患者さんたちに最良の在宅看護ケアを継続していこうと、静かに決意している彼女たちに、心から敬意を抱き、ささやかにでも、末長く協力していきたいなと思った次第です。
 (4月10日 記)
シェア代表理事 本田 徹 


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