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Dr.本田徹のひとりごと(45)2013.6.21

草木国土悉皆成仏をめぐって

・鰌(どぜう)きゆうきゆう なかせて割(さ)いとる   尾崎 放哉 

放浪の果てに、肺病やみとして瀬戸内海の小豆島に、ようようたどりついた俳人が、最晩年(大正14-15年)に詠んだ句ですが、「すまんすまん」と泣きながら、どぜうの腹を裂いている姿がありありと目に浮かびます。不治の結核患者として自身の命数を自覚した放哉が、いのちを削りながら、俳句表現にすべてを賭け、どじょうのいのちを奪い、その栄養をいただくことを通して、自身はまだ助かりたい、もっと歌い続けたいと念じている凄さ、客観視の佇まいには、思わず正座したくなるような、おごそかなものを感じます。
 
さてこのたびは、たまたまNHKの「プロフェッショナル-仕事の流儀」に私のことを取り上げていただいたお蔭で、さまざまな方から温かいお声がけや手紙をいただきました。シェアの関係でも、多くの支援者や友人から励ましをいただいたことを、改めて感謝申し上げます。山谷での仕事も基本はシェアと同じで、なにより素晴らしい仲間と出会えたことが、「地域ケア連携」という形での仕事につながったと思っています。2007年以来、日本は持続的に死者数が出生数を上回る「多死少産」時代に突入し(私はこれを「第4の健康転換の時代」と捉えています)、そしてこの国全体の高齢化率も21%を超え、「超高齢社会」に移行したのでした。世帯構成としても、今後は一人でいわゆる「孤族」を生きていく高齢者が圧倒的に増えていくことになります。山谷の中心清川2丁目は、台東区の調査でもすでに高齢化率が50%となり、都市の中の「限界集落」的状況になりつつあります。その意味では、これからやってくる「2025年問題」(私たちのような団塊世代が全員75歳を越えて、後期高齢者になっていく時代)を先取りしているとも言えるのです。そういう時代が迫っているからこそ、人と人の向きあい方、支え合い方の質が問われるようになったのでしょう。

・西日背に おのが影掘る 土工かな  小野瀬 訓央(のりなか)
(山谷労働者文芸誌「なかま」平成6年12月 第42号掲載 東京都城北福祉センター発行)

・部屋隅に 生きろ生きろと 冬の蠅   いざわさわお 
 (「生きた 愛した 歌った - 山谷の俳人 いざわさわお」  きぼうのいえ刊 2011年)

山谷で私が出会った俳人には、山谷俳句会を支える中心メンバーだった、訓央のほかに、いざわさわお、伊達天など、人間的にも、「人生大学」における教養の高さでも、驚くべき人びとがいらしたのです(おっと、伊達天さんは現役の俳句詠みとしてがんばっておられます)。それにしても、日雇い労働やドヤ暮らしそのものを、まったく新しい季節感によって詠みこみ、生半可な同情を拒みながら、働く者の<車座>という連帯を作りあげたという意味では、訓央さんを超える表現者はいなかったように思います。

NHKの3人の若いクルーは、皆自制や配慮が働く、優しい方々で、私にとっては本当にありがたい相手でした。2カ月半の密着取材は、撮る方にとっても撮られる方にとっても、ストレスの多い、職場にもいろいろと迷惑をかけることの多い営みでしたが、改めて3人に感謝です。脱線ですが、デイレクターのMさんは、高倉健のことも「プロフェッショナル」で取り上げていた人で、私は健さんとのささやかな、今を去る40年も昔のエピソードを思い出してしまいました。「網走番外地」の最終第10作が、1967年12月公開の「吹雪の斗争」でした。高倉健の演じる主人公が、ヒロイン(宮園純子さんだったと思います)を横抱きにして、雪の山道を馬で逃走するというシーンがあったはずです。実際は宮園さんに似せた人形を健さんは抱いていたのですが、貧乏な北大の馬術部の面々がバイトで動員され、十騎くらいで追いかけるという、自分で言うのも噴飯ものですが、なかなか迫力のある場面でした。私も悪漢の一人に扮して、健さんを必死で追いかけたのを懐かしく思い出します。このシーンの撮影の後、健さんは馬術部員全員をねぎらって、当時としては大枚の3万円ほどを、「おい、これでみんなして飲みな」と気前よくくださったのでした。映画と同じような、飾らない方でした。

さて、「草木国土悉皆成仏」ですが、ある時期から私は梅原猛さんの文章が大好きになって、系統的にではないのですが、彼の著作を繙(ひもと)き、その言うことに真剣に耳を傾けるようになりました。とくに東京新聞の夕刊に長年、毎週月曜日連載されてきた、「思うままに」と題する彼のエッセイは、文化・文芸から政治・哲学・スポーツと、多彩な話題に及んでいて、毎度楽しみにしてきました。2011年6月6日の「大震災を考える(9)」として掲載された文章はまさに、「草木国土悉皆成仏」と題されています。梅原さんによると、「草木国土悉皆成仏というのは、最澄の始めた天台仏教と空海の始めた真言仏教が合体した台密、すなわち天台密教思想が生み出し、そして鎌倉新仏教、浄土、禅、法華仏教の共通の前提となった思想である。」とのことです。
梅原説によると、日本文化の基層にある縄文文化を作ってきたのが、先住民であるアイヌの人々で、人類共通遺産とも言うべき彼らのカムイユーカラ(神謡)はまさに、この「草木国土悉皆成仏」の思想を体現していることになります。知里幸恵さんが、19歳のいのちと引き換えに美しい日本語にしてくれた、「アイヌ神謡集」(岩波文庫)を読むと、碩学のおっしゃることの意味がよく得心できます。
私は日々いのちと向き合うケアの場においても、この「草木国土悉皆成仏」という言葉が、拳拳服膺(けんけんふくよう)するに足る、素晴らしい考え方だと思うようになりました。

2001年にユネスコは、「文化多様性に関する世界宣言」(Universal Declaration on Cultural Diversity)を出しています。その第1条で、文化多様性は人類共通の遺産(the common heritage of humanity) だとして、「人類にとって文化多様性が必要なのは、自然にとって生物多様性が必要なのと同じだ」(Cultural diversity is as necessary for humankind as biodiversity is for nature) と強調しています。そして、この宣言は、2005年にユネスコが出したもう一つの宣言「バイオエシックスと人権に関する世界宣言」(Universal Declaration on Bioethics and Human Rights)と「対」になっているものです。
 シェアが発足以来30年かけて取り組んできたような、国際保健の領域でも、いのちと文化の多様性を尊重するという姿勢は、活動の基本となるものです。そうした初心の大切さに改めて気づかされたという意味でも、私には「草木国土悉皆成仏」という言葉は、光り輝き、日々の仕事を照らしてくれるものになってきました。

2013年6月21日

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