見出し画像

遠近両用眼鏡

とにかく不便なこと極まりないわけです。早く何とかしなきゃ、人前ではみっともないし・・・。

初めて眼鏡をかけたのは中学2年生の時でした。
黒板の字が見えにくくなって前の方に席替えしてもらったのですが、それでもどんどん目が悪くなってついに眼鏡をかけることになってしまいました。
一生懸命勉強した記憶はもちろんないし、当時はゲーム機もないし、考えられるのは狭い家で至近から見ていたテレビぐらいでしょうか。母親も近視だったので、母親譲りなのかもしれません。

さらに高校に上がる頃には徐々に乱視が入ってきました。ますます遠くが見づらくなって眼鏡やコンタクトレンズでの矯正なしには外にも出られなくなってしまいました。それでも目が悪いことをことさらハンデに思わなかったのは、多感な高校生とっては眼鏡はファッションの一部として捉えられるようになっていたからでしょうか。小遣いを貯めて友達とはちょっと違う個性的なフレームを探すのが結構楽しかったものです。

それでも遠くが見えないだけのうちはまだよかったのです。やがて大人になり、そして、四十を過ぎたころから徐々に近くが見えなくなってきて、しかもそれがどんどん進んでいきます。今やちょっと照明の暗いレストランではメニューが全く読めません。こうなってくると目が悪いのはとてつもない障害です。しかも私の場合は右と左で極端に視力が異なり、特に近くは片目をつぶらないとよく見えないので、次第に目が疲れてきます。

電車の中で本を開くと眼鏡を外し、降りるときにはまたかける。本屋で本棚を見ている時には眼鏡をかけているのに、本を手に取った瞬間眼鏡を頭にかける。このかけたり外したりが、きっとはたから見ると相当にみっともないに違いありません。

それなのに、遠近両用眼鏡(老眼鏡とは言いたくありません)というものにはどうにも抵抗があるというか、昔のおじさんがしてた、あの下半分だけ四角に切り取られた老眼鏡をどうしても思い出して、デザイン的に難があるんじゃないかとかいろいろ考えてしまっていたのでした。

私はコンタクトレンズも使うので、先にマルチフォーカルのレンズを着けていたこともあったのですが、たまたまそのレンズがちょっと合わなくて時間が経つと目が乾くので、一念発起して眼鏡を作ってみることにしました。

改めて視力検査をして、ちょっと奮発してチタンのレンズにしてみました。そうやって少し気分を上げて・・・。
レンズの下半分が老眼鏡になっていて、スマホや本を読むときには少し顎を上げて目線を下に向けなくてはならないことにまだ慣れないけど、眼鏡を外さなくても見えるし、遠くは全く問題なく見えます。しかも今のレンズはシームレスなので老眼鏡を着けているようには見えないし、なるほどこれは優れものだ(今頃かい!)。まだ、近くを見るときには裸眼の方がストレスなく見えるので、ついつい眼鏡を外すクセが直りませんが、使い慣れてくるともう少し見やすくなるのかなあ。

そういうこの文章も結局裸眼で書いてしまいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?