生きてることがかっこいい
我が子、1歳の記念写真を撮りました。
最近、「家族」という「チーム」ができたという実感があります。
独身の頃や夫婦だけの頃には、(私には)無かったものです。
産後うつのこと
私は1ヶ月を過ぎた頃から産後うつとなり、約4ヶ月は使い物にならない廃人と化していました。
鬱の頃は、とても我が子の1歳が迎えれる気がしておらず、(自分も生きているか分からないし、我が子も生きられるか分からない)そんなわけで、家族にとって一歳は特別感慨深いものとなりました。
鬱から生還してじわじわ気がついたことは、自分が個人主義の極地に住んでいたんだなぁということ。
人を頼りたくない、自分で完結したい。
自分のことは自分で解決するべき。
だから他の人も自分のことは自分で解決するべき。
それは夫や家族に対しても、無意識ですがそのように接していたと思います。
人を頼らない人間は、大変可愛げがなく、そして寂しいやつです。
鬱が最高潮にひどい頃、精神科の先生に不安をぶちまけていたら、
先生は言いました。
「あなたは今何の解決能力もありませんから。悩みや不安は、家族に解決してもらってください。僕に話してるくらいなら家族と話してください。不安なことを考えているくらいなら好きなドラマや映画でも見ててください。」
そんなことできないから鬱になってるんじゃん。
と思いましたし、先生を完全に疑いの目で見ていました。笑
私は自分が病気だと言うことは分かりましたし、何としても元気になりたかったので、先生の言うことを聞いてみることにしました。
不安に感じてることを放棄。
我が子への罪悪感はものすごいものでしたが、とにかく自分が元気にならないとはじまらないので、いろんなことを放棄。放棄して海外ドラマ見てました。(まさか海外ドラマを見ることが治療になるとは思いませんでした。)
そしていろんなことを人にお願いしはじめました。
人と人は助け合って生きていく(助けてもらって生きていく)、ということを恥ずかしながら40歳にもなって何も分かっていなかったのです。
でもやっと気がつくことができました。
日本では、人に迷惑をかけずに生きる、という言葉をよく聞きますが
インドでは、人には必ず迷惑かけるのだから人を許しなさい、という教えがあるそう。
そちらの方が宇宙規模で真理をついていると、今は思います。
我が子1歳の今年から、新たな戦いがはじまります。
戦いというと苦しそうですが、ワクワクしています。
新たな戦い
今年の元旦、初詣にて、
私が今年の覚悟として報告したこと。
「家族で楽しく食卓を囲むための努力は惜しみません」
我が子が自分で食べるようになるための戦いがはじまっています。
今は自分で食べられない我が子。
それが今の我が子。
かなりの期間、経管栄養チューブをつけている我が子をなかなか撮影できませんでした。
まだ我が子は健康ではない。
チューブをつけている姿として記念に残すのはかわいそうな事ではないだろうか。
今となって思うと、彼の心配をしているようで、私自身が鼻チューブをしている彼を、未完成品かのように見ていたのではないかと。
写真を見てわかったこと。
チューブも合わせて、今の彼だということ。
彼はチューブを自分の体の一部にして堂々と生きてる。
生きてることがかっこいい
私はやっと、我が子から湧き出ているものすごい生命力に気がつきました。
育児は本当に育自です。
生きてることがかっこいい、教えてくれたのは自分の子供。
なんだかとっても嬉しいです。
そして、生きてることってかっこいい、と我が子に思ってもらえるよう、
母も生命力抜群の後姿を魅せていかないとね。
最後に
毎日毎日寝たきりで、敵でもみるかのような冷たい目線で最低最悪な悪態&我が子への罪悪感で奇行ばかり行う私に「元気があれば何でもできる、だから今はとにかく休んで。君はちゃんとお母さんしているよ」と毎日近くにいて子育てもしてくれた夫ありがとう。
毎週欠かさず家に来て外に連れ出してくれたり、「死にたいの?」と究極の質問をしてくれたおかげで、「母になりたい」と言う自分の本心を引き出してくれた姉ありがとう。
全く食事を作れない&食べられない状態の私のせいでろくな食事をとれていなかった我が家に、毎週欠かさずおかずを作ってくれた母(いまだに)ありがとう。
多岐にわたるケアをしてくれた親友たちありがとう。
みなさん本当にありがとうございます。
元気になったので何でもできます!
SHAR
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?