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産後うつがかなり悪化した私の、産後うつ卒業までのプロセス

先日、産後うつで精神科に通い始めてから1年半の受診があり、
ついに抗うつ剤の処方が終わりました
私は産後うつがかなり悪化したタイプのお母さんです。
死ななかったので良かったですが、死んだ方が良いと思ったし、
どうやったら人に迷惑をかけずに死ねるのか、と具体的に考えるところまで行きました。

今まさに産後うつで苦しんでいるお母さんやご家族に読んでもらいたいと思いこの記事を書いています。抗うつ剤を飲んでいる間は書けなかったですが、治ったので満を持して書きます。



産後うつの大前提

私は産後、自分の感情の様子がおかしい、、そしてもうどうしてもコントロールがきかない、これは鬱なのではないかと感じた時、必死になって、ネット検索や本を購入して産後うつについて調べ、対処法を真似してみたりとやってみましたが、うまく行きませんでした。またうまく行かないことが更に鬱を悪化させてたかもしれませんが、治したかったらまず調べる、という行動は人として当然だと思いますし仕方なかったと思います。

産後うつの根本的な原因はホルモンバランスです。性格ではありません。お母さんが悪いわけではありません。(そしてそれが分かったとしても、簡単に抜け出せないのが鬱。)
産後うつになるきっかけや悪化する原因は、人によってさまざまです。そして対処の仕方も、人や環境によってさまざまだと思います。

この記事に辿り着いたお母さんたちも、あくまでも他の人の話であり、全てが自分に当てはまるわけではない、ということを頭に置いた上で、こんな人もいたのか、という一例として見て頂けたらと思います。


産後鬱が悪化したきっかけ

何度も言いますが、産後鬱になる根本的な原因はホルモンバランスです。鬱になるきっかけは、母になればきっと数えきれないくらい出てきます。私の場合は、なんて大切なものを産んでしまったんだという責任・不眠・やることが一気に増えて驚愕・でも今まで通り家事もちゃんとやりたい・乳が出ているか不安・体重が増えなくて不安・自分の体力が回復しない・仕事に復帰できない、などなど。


"鬱が悪化したきっかけ"

鬱が悪化したきっかけ、一つ目は金銭面の心配
夫婦で個人事業主の我が家。私は2~3ヶ月くらいで仕事に復帰できるものだと勝手に考えていましたが、何より自分の体力が全く回復せず、普通に歩くことができるようになったのも、出産から2ヶ月ほど経ってからでした。元々体力に自信があった私は、自分がいつ働けるようになるか分からないということが極度の不安へとつながり、またバッドタイミングで夫の仕事も激減。オーバー40で仕事も不安定な夫婦。これから20年この子を育てていく未来が全く描けない。子供を産むなんてことしちゃいけなかったのだろうか。エスカレートしていく罪悪感。

二つ目は我が子のミルク吐き戻し。
現在も経管栄養をしている我が子、結果的に摂食障害があったわけですが、当時は障害があるなんて考えもしません。生後2.3週間した頃からミルクを大量に吐き戻すようになり、同時に体重もあまり増えず。ミルクを飲むのも遅く、一度の授乳に1時間半もかけやっと終わったと思うと大量に吐き戻す。吐き戻しのミルクの匂いは強烈で洗濯物も大量に。体力が戻らずろくに歩けない状態の私は、吐き戻しの処理、我が子の着替え、洗濯物が臭い、洗濯物が増えていく、そんなことも大きなストレスに。そして子供の命の責任を負う母親にとって、授乳と体重増加がうまく行かないことが、どれだけ不安でどれだけ母として無力感に陥るか。

嘔吐のせいでお腹が減り、一度の睡眠が短い我が子との生活。そんなこんなで毎日1秒の精神的余裕も無い生活の中で、まずは全く眠れなくなりパニックとなりました。我が子と離れた部屋で寝ても、やっぱり聞こえてくる泣き声、泣き声が聞こえない状況にしても、それでも眠れない。眠れない恐怖。もう私は一生眠れないのか。精神科に行くか産婦人科に行くか迷った結果、まずは自分が産んだ産院に産後うつのことを相談することに。

鬱が悪化した原因の三つ目は、産婦人科でもらった精神安定剤。

「睡眠さえ取れれば良くなるかもしれないから、まずは寝ましょう」ということで、睡眠剤で泥のように眠りました。20時間くらい寝ていた記憶があります。起きた時に鬱も消えていてほしいと願っていましたが、鬱っぽさは全く消えていませんでした。精神安定剤は、効き目がありました。しかし、圧倒的に効くものというのは次第に体が慣れていきます。そして効かなくなっていきます。改善すると期待して飲んでいた産婦人科で処方された薬が効かなくなり不安から鬱は悪化。ついに精神科へかかることに。小さな我が子を連れて精神病院に居る自分。我が子への罪悪感で満ちていました。


"鬱がいちばん酷かった時の自分"

我が子にミルクをあげることができなくなる(怖い)。我が子の近くに居ることも辛くなる(鳴き声を聞くのがストレス)。我が子と二人きりになることが恐怖で夫が少しの買い物に行くのも拒絶。食欲も皆無になり激痩せ。
ひとり、朝から夕方までずっと毛布をかぶり、どう考えても出口が見えない思考をただひたすら巡らせ、硬直しながら横たわっているだけの廃人生活となりました。(その間すべて在宅仕事をしていた夫が我が子の育児をしていました。なぜか夜だけは鬱の症状が消え食事も取れたので生命維持できました。)

最終的に何が私をそこまでどん底に落としていたのかというと、母親になれない(子供を愛せない)のではなかろうか。という究極の不安と罪悪感だった。私自身は当たり前のように母に愛され育ち、周りのみんなもちゃんとお母さんしているのに自分はできない。夫の部屋にいる我が子に、「ごめんね、ごめんね、ごめんね」と取り乱しながら謝りに行っていた。毎週会いにきてくれていた姉に、「あんた死にたいの?」と聞かれた時、考えて考えて振り絞るように自分から出た言葉は「この子の母親になりたい」だった。私は母親になれないかもしれない。情けなく酷すぎる母親になってしまうかもしれない、そして解決法が全く見当たらない。出口が見つからないのに考え続ける、最悪を考えることをやめられない地獄のような日々を送っていました。


精神科医の話

結果からお話しすると、私の精神科のドクターは、現実的・論理的で冷静な指導をする方で、指導通りに取り組んでいく中で、極ゆっくりですが鬱は良くなっていきました。私がドクターから教えてもらったことはとてもシンプルでした。

"鬱の原因は三つ"

不安・ストレス・不眠。
この三つが鬱になる原因。
不安をなくし、ストレスをなくし、睡眠をとること。何度か受診する中で「この三つを改善しない限り、鬱は良くならないです」とはっきり言われました。つまり薬では治らないのです。

"抗うつ剤のこと"

抗うつ剤というものは、治す薬ではなく、原因の2つの要素(不安・ストレス)を強く感じさせないようにするバリアのようなもの。現実から目を背けて、とにかく薬で治らないかと思っていた私は、その話を聞いた時、ショックもありました。

"人に頼る"

抗うつ剤を飲んでも効き目を感じず、焦った私はパニックになり今度は息ができなくなりました。病院に駆け込んだ時にドクターが言った言葉は、「人は不安では死にません」「あなたは今何もできない状態の人です。だから不安やストレスは、すべて家族や他の人に解決してもらってください、あなたは好きな写真を撮ったり、好きなドラマや映画を見たりして過ごしてください」

そんなことを言われても、そう簡単にはいきません。そう簡単にはできないことだから鬱になっているのです。ドクターに言われたことを実行するには、人に頼ることが不可欠で環境も整えなければなりません。けれど(何もやらない・考えないことを)やるしかない。とにかくこの状況を脱したかった。「自分は使い物にならない状態」ということをまずは自分の中で許容することにしました。そして情けなく卑怯な気がするけれどすべてのことを家族に丸投げしようと思いました。普段から極力人に頼らずに生きることが良い生き方、と考えていた自分にはとても難しいことでした。時間もかかりました。夫には悪態もたくさんつきました。

なお抗うつ剤は、早い人でも2週間以上は効果が感じられるまでにかかるようで(先にそれ教えておいてくれたらパニックにならなかったかもしれないよ、と思いましたが。笑) 私は何となく効いているかも?と思えるようになったのは2ヶ月ほど経ってからでした。

"鬱は治る"

鬱はすぐには治らない。これは覚悟をしておいた方が良いです。

けれども、必ず治る。

ドクターが初診の時に私に言った言葉が「大丈夫、治りますよ」私は、私のこと何も知らないのによくそんなこと言えるわ!と心の中では疑いの目でいっぱいでしたが(鬱なので。笑)家族(夫)はその言葉に救われたようでした。

そして本当に治りました。

治るまでには本当にいろいろなことがあったし、夫婦で言い合いもたくさんしましたが、やったことと言えばドクターが言っていたシンプルなことです。私は何もやらない考えない。好きなことをする。私の場合、大好きな写真は全く撮れなくなり、唯一できたのが海外ドラマの一気観でした。観ても観てもいくらでもサブスクで準備されている海外ドラマ。ドラマを観ている間は自分のことにフォーカスしなくて良いので、その時間が大切だったのかもしれません。また我が子は体重減少で2ヶ月間入院となり、私の鬱が酷い期間に、我が子を病院に預け家で熟睡することができました。1日の大半を我が子と一緒に過ごさない罪悪感はありましたが、私が元気になることが何よりも家族のためと思い切り、家で毛布を被り横たわりながら海外ドラマを観ていました。そして、日に日に我が子に会う時間を増やしていきました。


抗うつ剤卒業まで一年半。抗うつ剤は突然止めることはできないので、症状が持続して良くなってくると、小刻みに減薬してきます。一年半ずっと具合が悪かったかというとそんなことはなく、抗うつ剤を飲んでいても症状が酷かったのは、2~3ヶ月ほど。その後は、また悪化してると感じたこともありましたが、一歩進んで二歩下がるの精神。長いスパンで見れば必ず良くなっている、そう思って過ごすようにしていましたし、幸せに感じられる時間の方が圧倒的に多かったです。



家族の理解

人に頼る。人に頼ることができるようになるためには、家族の産後うつへの理解が必要不可欠です。精神科には、症状が軽くなるまでは必ず家族と一緒に行ってほしいと思います。産後うつになるきっかけは人それぞれで、その症状もきっと人それぞれです。

・本人の不安に感じていることを、代わりに背負ってあげる。
・ストレスに感じていることを、やめられるよう手伝ってあげる。
・とにかく睡眠をとらせてやる。

本人には何も考えさせない。何もやらせない。代われることはすべて代わる。好きなことだけさせてあげる。とってもわがままなようですが、心(脳)の風邪をひいている状態なので、しばらく勘弁してください。当然ですが本人元気になれば何でもできます。



最後に

最後に、しつこいですが産後うつはホルモンバランスの乱れが根本の原因です。その人の性格でもその人が悪いからでもないです。けれども、環境次第では自ら死んでしまう人もいます。


私は夫が在宅仕事をしていたので救われましたが、核家族で子育てをする場合、ワンオペ状態では鬱は治らないと思います。親族に一時的に同居をお願いする。もしくは旦那様の仕事を休業もしくは辞めてでも一緒にいるべきです。

命は仕事やお金より大切です。
失ってからでは遅いのです。
仕事やお金のことは、元気になってからいくらでも頑張れます。

人間の子育ては、古来より複数で行ってきたそうです。産後の床上げは3週間と言われています。もっと長く時間がかかる人もいます。その間、お母さんが寝たままで過ごせる家庭がどれだけあるでしょう。お母さんを孤独にしない地域の取り組みも重要ですが、まずは出産するお母さんとその家族が、自分たちの体力や能力を過信せずに人に頼ること家族・親族みんなで子育てすることを前提に、その環境を作っていく必要があると思います。

産後初めて自分で撮影できた家族写真(我が子6ヶ月)

産後うつになってしまったら、本当に辛いです。
そして産後うつは簡単には治りません。
けれど、必ず治ります。

今では産後うつになった自分の経験を心から大切なものだったと感じています。

SHAR


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