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好きなものを好きと言えなくなることもあるという話

東京オリンピック2020開会式、ショーディレクターの小林賢太郎が解任に至る経緯については「それは本当にダメなことで解任も当然である」と思うしかなかった。これまで“ブラック”という印をつけただけで、あのネタについて自分もファンとして向き合ってこなかったことに反省以外ない。“好き”で蓋をして、見ようとしてこなかった。国際的なイベントの中心人物を務める観点、、、の云々に関わらず言語道断の発言だったとはっきり言える。

23年前のことを今更?であったり、コントの文脈を読み解くべきだ、であったりという擁護も理解できるのだがその辺りの話はもう議論され尽くされているし、ここからは自分ごととして書いていきたい。今回問題となった発言については完全にアウトであるという考えは揺るがないものの、どうしてもこのまま飲み込むにはモヤモヤしたものがありすぎる。この東京オリンピックのあれこれと切り離し、小林賢太郎ファンである自分のために書き残す。



自分の人生でこのような出来事は今までなかった。自分が好きになる人たちは信じ難いことで炎上することは少なく、こういったショックはあまり受けずに済んできた。今回、好きなものを好きと言えなくなる状況の衝撃と恐怖がかなり強いことを初めて思い知った。人によっては小林賢太郎を好きと言うだけで嫌悪の対象になるかもしれないし、事象を悪だという前提の上で作品の台詞に引用する行為=事象を揶揄する行為と捉えられた今回のケースのように、”好き“=作り手と同じ思想の持ち主、と捉えられるかもしれない。

日常の些細な出来事を切り取って新しい視点で描いてみせるようなエッセイだったり、ビジネスや人生がうまくいくメソッドを紹介する文章を書くようなタイプの人間であれば良かったのだが、僕の450本近い投稿のほとんどが「好きなものを好きだと示すもの」である。これら全てがもしかすると危険な思想に成り代わる日が来るのかもしれない。いや、もう既に人によっては許しがたく排除すべき文章になっているものもあるかもしれない。どんな人の目に留まっても良いように注意を払っているが、それでもどうだろうか。



10数年前から著書やインタビューで、小林賢太郎は過去の芸風について後悔を述べており、最近の創作物ではかなり繊細に“皆が笑えるもの“を目指してやってきたように思えるが、その事実を言い張ったとて批判している方々に届けることは難しいと思う。「過去に人権的・同義的に問題の発言を言い放った国際的にひどいと思われてるやつ」の作品を実際に見ようと思ってくれる人がどれくらいいるのだろう。絶対に許せないことをした人がその後で行いを悔い改めたことを認めようと思ってくれる人がどれくらいいるだろう。

好きなものを好きだと言いづらくなること。過去を反省し、真摯に今できる活動に取り組んでやり直そうとしている事実も状況次第では全く伝わらなくなること。どうやらこれはこの時代を生きる上では覚悟しなくてはいけないことのようである。僕自身が性格上も職業上もその人の「次を信じる」ことで生きてきた人間であるがゆえ、ここまで残酷に断罪しなければならないというならばただ辛い。これこそがこの時代に必要な禊だとするならば、もう自分の本当の感情は外に出さないようにしておくしかないのではないか。想いの自由さを、頭の中だけで必死で守ることが最善な方法のように思える。



開会式当日。どんな事態になっているのか、小林賢太郎ファンとして見届けなければならないと思っていた。始まって数分の時点で気づく。あぁこれは小林賢太郎の演出したままだと。そして終わるまでの3時間強、随所に小林賢太郎の作品要素が織り込まれ続けていた。身体表現と映像演出を融合させ、モノを作る過程をショーアップし、点と線とハコを駆使し、羅列とマイムを混ぜ合わせて笑いを生み出していた。世界中の人々が観たという開会式には至るところに“小林賢太郎演劇作品”と呼ぶしかない場面が存在していた。

前時代的だ、規模が小さい、つまらない、チグハグ、MIKIKO先生の案が良かった、といった意見を目にして嫌悪感を抱いたが、それはその人たちの“頭の中の自由な想い”なので自分には特段関係のないこと。この作品が小林賢太郎の名を冠さずに出ることの悪虐さについては問題視されるべきだがそれはひとまずこの文中では詳しく言及しないでおきたい。そういった諸感情を飛び越えて、小林賢太郎が作り出した作品を好きだ、と思えた時点でこの日は意味があったと思う。好きという感情を守ることができた、と心底思えた。

そもそも他人と完全に分かり合えるとは思っていない、伝わらなくても自分が満足できればいい、と言いつつもこうして文章として「好きなものを好き」と書き続けているのは、誰かと近い(同じ、ではない)感情を分かち合いたいという思いがあるからなのかもしれない。小林賢太郎の件から、改めてそういう考えに辿り着いたし、それをやり続けていくのが新しい作品に期待し続け、作り手の次を信じる人間としてできることだと思う。令和3年にまだ性善説を信じ、せめて好きな人のことは許していきたい甘々な考えの人間なので、ぶん殴りたいって人もいるとは思うけども、ひとまず自分の想いはこれで。ぶん殴る理由や想いも添えて頂ければ、ぶん殴ってくれても大丈夫。

最後に、もしかしたらこれを機に小林賢太郎の作品を見てみようと思ってくれる方がいるかもしれないので、オススメをいくつか。全ての動画の広告収入は日本赤十字社を通じて復興支援などに寄付されるのでご安心を。


ドラマチックカウント

"羅列"するだけでこんなに面白くなる。



器用で不器用な男と不器用で器用な男の話

少し切ないストーリーテーリングもまた持ち味だったりする。


怪傑ギリジン

永遠の相方・片桐仁の魅力をこの上なく引き出す。


不透明な会話
条例

ロジカルな1本目と、そこから生み出す"反復"のアイデア。


Handmime

開会式のピクトグラムパフォーマンスでも発想が活かされていた。



アナグラムのあなぐら

日本語で遊ぶことに長けている彼だが、その真骨頂だろう。



TAKEOFF ~ライト三兄弟~ 

長尺の演劇作品、こちらも開会式に発想が持ち出されていた。



振り子とチーズケーキ

2人芝居。優しいタッチが貫かれ、"物事の見方"への言及も。

野生のヤブ医者

カジャラのネタはだいたい無茶苦茶なのでとりあえず見て笑ってください。


#小林賢太郎  #東京オリンピック #カジャラ #ラーメンズ #KKP

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