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読解のためのラカン入門【精神分析学】

精神分析家ラカンの思想は精神分析学や哲学だけでなく、現代文学やアニメにも大きな影響を与えています。本noteは文学やアニメの読解に生かすためにラカンの思想をまとめたものになります。

はじめに

本noteは「精神分析用語やラカンの用語が文学やアニメの考察、現代思想に出てきたけれどよく分からない!」という方に向けて用語解説としてまとめたものです。

そのためラカン用語を初めて聞くという人にとっては難しすぎ、詳しい人にとっては大雑把過ぎに感じると思います。

ですが、全く知らない人は「精神分析」の世界の見方を教養として知り、将来必要性を感じた時に再度見返すという使い方ができると思います。
また、詳しい人は複雑になりがちなラカンの用語の整理に使えると思います。

よろしければ最後までお付き合いください。

ジャック・ラカン

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ジャック・ラカンはフランスの精神科医であり、フロイトの生み出した精神分析学を大きく発展させた人物です。

精神分析学は村上春樹、幾原邦彦、庵野秀明など現代の文学やアニメ作品に大きな影響を与えており、その読解には精神分析学の理解が必要となっています。

ではなぜフロイトではなくラカンであるかというと「今日フロイトを理解するためにはラカンを抜いては考えられない」と言う発言があるように、ラカンを通した方がより精神分析学の理解が進むと考えているためです。

ラカンの思想は難解なため、現状は本などでじっくり勉強しないと理解することができません。
そこで本まとめではもっと気楽に理解できるように、ラカンの思想の概要だけをまとめることを試みました。
具体的には「想像界」「象徴界」「現実界」「鏡像段階」「エディプス・コンプレックス」「シニフィアン・シニフィエ・記号」「享楽」「生の欲動と死の欲動」「欲望」「対象a」などの概観を摑めるようにすることを目標にしています。

このまとめを通して文学、アニメ研究が更に盛んになることを願っております。

なお本まとめにはフロイト等の思想も含まれていますが、誰の思想であるかは明示しません。
その他省略なども多くあります。興味を持たれた方は是非最後に紹介する参考文献またはラカンの原典を読んでみてください。

1.想像界・象徴界・現実界

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ラカンの思想の一番基礎であり重要な部分が世界を想像界・象徴界・現実界で捉えている点になります。このように捉えることで精神分析への応用ができるとラカンは考えました。

これらはそれぞれ一言で言うと、
想像界=イメージの世界
象徴界=言語(正確にはシニフィアン)の世界
現実界=想像界にも象徴界にも属さない世界
です。

よく分かりませんね。
まずは想像界、象徴界をどのように獲得するかのラカンの説明を見ていきます。
少しずつ掴んでいきましょう。

1.1.鏡像段階(想像界の獲得)

赤ん坊は生まれた直後、自分がどんな姿をしているかイメージが掴めていません。
イメージはおろか「自分」という概念すら持っておらず、外世界との接触を媒介する口、目、耳などの諸感覚のバラバラのイメージしか持っていません。

そのような赤子が生後六ヶ月頃から「鏡」に興味を示すことが知られています。
これは鏡に映る自分の姿を見ることで「自分」という一つのまとまったイメージ(=自我)を獲得することに喜びを感じるからだとラカンは主張しています。

ここでいう鏡はメタファーとしての鏡でもあります。
つまり、赤子は自分とよく似たイメージの塊(両親などの他者)を見ていく中でも自我を獲得します。

このような「鏡」により自我を獲得する過程を精神分析学では鏡像段階と呼んでいます。
そしてこの鏡像段階を経て人は想像界(=イメージの世界)を獲得するとラカンは考えました。

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鏡像段階の初期段階では自他のイメージの区別がついていません。
そのため想像界(=イメージの世界)は鏡像段階をすぎても「他者」という性質を持っています。

想像界の他者性を示す例1:同一化
人間は自分自身ではないものを自分だと思う「同一化」を行います。
キャラクターに感情移入するのも同一化の一つです。
このような「同一化」が行えるのはイメージが自分と他者を重ねることができる性質を持つためです。

想像界の他者性を示す例2:他者への愛
精神分析においてはすべての愛は自己愛の変形とされています。イメージの自分=他者を愛する過程を通して、自己愛が他者への愛へ変化していくと解釈されています。

まとめます。
想像界は鏡像段階を通して獲得する。
そのため想像界は「他者」という性質を持つ。

読解に関する話をすると、アニメや文学で「鏡」あるいは「よく似ているけど対称的な人物二人」が出てきたらラカンの想像界を思い出すといいと思います。

1.2.エディプス・コンプレックス(象徴界の獲得)

エディプス・コンプレックスとは父を殺し、母と交わりたいという人類普遍の欲望のことです。
これはギリシア悲劇『オイディプス』の父王を殺し自分の母親と結婚したという物語から取られています。

勿論ここで言っている「父」「母」「殺す」「交わる」は全てメタファーとしての意味なので文字通りの欲望があるわけではありません。

詳しく説明していきます。

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1.母子一体の万能感
生後間もない乳児は近親相姦的な母子一体の万能感あふれる空間にいます。
これは鏡像段階初期の自他の区別がついていない状態と対応しています。

2.父親殺しの欲望
しかし、母親と本当に一体になっているわけではないため、母の不在の時があります。
その時子供は「母はどこに行ったのだろう。僕よりも興味があるものがあるのではないか。」と考えます。この"僕よりも興味があるもの"に当たるのが父の(象徴としての)ペニスです。
こうして子供は父が母子一体状態の間に割り込む存在と認識し、父親を憎みます。

3.去勢
ところが父は子供に対して絶対的強者の立ち位置にいるため、やがて母子相姦の欲望と父親殺しの欲望を諦めます。そして父の(象徴としての)ペニスを欲望の軸に据えるようになります。この諦めを精神分析用語で「去勢」と言います。

4.ファルスへの欲望/ペニス羨望
ここからは男女で別の過程を経るとされています。

男(=ペニスを持つ者)の場合:ファルスへの欲望
上記説明中の「象徴としてのペニス」のことを精神分析用語で「ファルス」と言います。
ファルスは象徴としてのペニスのため、文字通りのペニスではありません。例えば財力や権力などがファルスの例です。
男(=ペニスを持つ者)はそのまま父への同一化を図り、ファルスを手に入れることを欲望するようになると言われています。

女(=ペニスを持たない者)の場合:ペニス羨望
女の子の場合は自分のペニスの不在に気づき自分にペニスを与えてくれなかった母を憎みます。そしてペニスを持ちたいという願望から、ペニスを享受したいという欲望へ変わっていくとされています。

以上がエディプス・コンプレックスの説明になります。

精神分析学がファルス中心主義(ファロセントリズム)だと批判されるのがよくわかります。フェミニズムが盛んな現代には適さない思想のように感じます。
しかし再度強調しておきますが、上記の「父」「母」「ペニス」などは全て文字通りの意味ではなくメタファーです。あくまで父的なもの、母的なもの、ペニス的なものを想定すると以降の欲望などの解釈がしやすいというのが精神分析学の立場です。

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エディプス・コンプレックスをもう少し具体的に説明したエピソードがあるため紹介します。
フロイトは母親の不在時に子供がひものついた糸巻きで遊んで紛らわそうとする子供に注目します。子供は糸巻きを投げ「オーオー」と声を発します。また糸巻きを手元に引き戻し「ダー」と発します。ドイツ語で「オー」=「フォルト(Fort)」はあそこ、「ダー(Da)」はここを意味します。
つまりこの行動は糸巻きを母親と見なし、糸巻きをあっちこっちに移動させる行為を通して「母」を自分の力で象徴的にコントロールすることを意味しています。象徴を通して母の不在の苦しみを紛らわせているのだとフロイトは解釈しました。

母の不在。母をコントロールする力(=ファルス)を求める。エディプス・コンプレックスを端的に表す例です。

上記の例を見てもわかる通り子供はエディプス・コンプレックスを通して周りの他者が使っている「言葉」を獲得します。
この「言葉」からなる世界が象徴界です。

このような獲得過程を通るため象徴界は「存在の代替物」という性質を持っています。
言葉は「母という存在の不在」を紛らわすために獲得したためです。
存在の代替として言語を獲得することは安心に繋がる一方、同時に「存在そのもの」が決して手に入らなくなることを意味します。ラカンはこのことから象徴界を獲得することを「ものの殺害」と言っていたりします。

また、象徴界は「他者」という性質も持っています。
子供は「母の不在」に際して自分の気持ちを他人に伝えるために、周りの他者が使っている言葉を学習するのでした。つまり言語学習は「他者」と交流するためのツールを自分の中にインストールすることを意味します。
そのためマナーや社会的なルールなど「他者」と交流するための規範も象徴界に含まれるとされています。

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ちなみにこの去勢を促し象徴界の獲得を促す象徴的な父を「父の名」と言ったりします。

この象徴的な父の介入と、それによる象徴界の獲得によって自他のイメージの区別がつくようになることもポイントの一つです。
つまり、想像界の獲得の段階では自他のイメージが混同した状態であったのに対して、象徴界の獲得によって自分と他者という認識が生まれるとされています。

まとめます。
象徴界は母の不在などを含むエディプス・コンプレックスの体験を通して獲得する。
そのため象徴界は本質的に「存在の代替物」の性質と「他者」の性質を持っている。
象徴界の獲得により自他の区別がつくようになる。

読解に関する話をすると「父」-「母」-「私」の三角関係はよく出てきますね。
「父」は力や強者、敵の形を取ったり、「母」は好きな人や故郷、かつての平和の形を取ったりもしています。
もう一つ、象徴界を獲得する=言葉を獲得する=父が介入することで、自他のイメージの区別がつく=「鏡」の二人の戦いが終わるという部分も物語でたまに出てくる気がします。

次項では「言葉の世界」のイメージを掴むために言語学のお話をします。

1.3.シニフィアン・シニフィエ・記号(象徴界について)

今まで象徴界とは「言葉の世界」だと述べてきましたが、本当は「シニフィアンの世界」の方が正確です。
この項ではシニフィアンなどの用語解説と、そこからわかる象徴界の性質を見たいと思います。

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現代言語学の源流フェルディナン・ド・ソシュールは言葉には二側面があると考えました。
それが「シニフィアン」と「シニフィエ」です。
一言でいうとシニフィアンは言葉の「音」の側面で、シニフィエは言葉の「イメージ」の側面です。

上図でいうと上の「木のイメージ」がシニフィエで、下の「木」という音がシニフィアンです。
そしてシニフィアンとシニフィエを両方合わせたものを「シーニュ」=「記号」と言います。

ラカンのオリジナルな点は「シニフィアンとシニフィエ」という対比ではなく「シニフィアンと記号」という対比で考えたことです。

記号は単独で必ず「意味」を持ちます。
一方で、シニフィアンは文脈の中で初めて意味を持ちます。

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例えば、上図のような記号は意味と1:1の対応関係にあります。
「入るな」以外の意味は持ちません。

一方でシニフィアンは、例えば「はし」という同じシニフィアン(=音)であっても
はし で食べる
はし を渡る
はし に寄る
はし る
の「はし」は全て意味が変わります。

このようにシニフィアンは他のシニフィアンとの関係性のなかで初めて意味を持ちます。
シニフィアン達が相互に関連性を持つことで形成される世界が「象徴界」なのです。

ダジャレ、ラップ、和歌などの気持ち良さもシニフィアンが相互に繋がっていることを裏付けていると思います。
言葉同士の繋がりはイメージの繋がりだけでなく音が近いことだけでも繋がりを持つのです。

精神分析学ではこのシニフィアンの繋がりを用いて「無意識」を解析する手法が考えられました。

具体的には夢分析や言い間違いの解析が行われました。
言い間違いは無意識で抱いているシニフィアンの連関が表出することによって起こると考えたのです。

詳細にはここでは踏み込みませんが、象徴界は言葉の世界であり「無意識」でもあるということを押さえておいてください。

まとめです。
象徴界はシニフィアン(=言葉の音の側面)が関連性を持って形成した世界かつ無意識でもある。

1.4.現実界とは?

現実界とは想像界、象徴界ではない世界のことでした。

そのため現実界を理解するためにまずは想像界、象徴界を再考します。

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想像界とはイメージの世界でした。
ここで一つ踏み込みますが、いわゆる私たちが認識している「現実」は想像界に当たります。
目に見えているものはそれぞれイメージとして認識しているためです。

例えば上の写真を机の上にノートがある写真だと認識していると思います。
赤・青・茶色の写真とは認識していないと思います。
これは机のイメージ・ノートのイメージとして認識しているためです。

このように私たちは世界をイメージで認識しています。
そのため私たちが認識している「現実」も想像界の領域になります。

逆に現実界がどんなものか分かったでしょうか?

そう、机・ノートと認識する前の赤・青・茶色の混沌とした状態が「現実界」の例です。
想像界として切り取れない残り、余剰が現実界です。

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象徴界とはシニフィアンの世界かつ無意識でした。

象徴界(=言葉)の獲得はエディプス・コンプレックスの「母の不在」を通して行われました。
この話にも現実界が登場しています。

そう、象徴界を獲得する前の母子一体の万能感の状態が「現実界」の例です。
また「ものの殺害」で触れた象徴界として認識することで永遠に手に入らなくなった「存在そのもの」もまた「現実界」の例です。

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私たちは想像界(=イメージ)を通して世界を認識し、象徴界(=言葉)を通して世界と関わっています。

ある意味で世界を想像界と象徴界で切り取って生きているのです。

その切り取れなかった部分、余剰が「現実界」です。
そして、現実界は永遠に手に入らないものという性質を持っています。

現実界はラカンの思想において非常に重要です。
現実界の例は母子一体の万能感、死、トラウマ、「存在そのもの」などです。
これらは永遠に手に入らないものでありながら、常に人が求めるもの、欲動の原因だと述べています。詳しくは欲動の項で説明します。

まとめ
現実界は想像界・象徴界で切り取れなかった残り。
現実界は永遠に手に入らないもの、かつ常に人が求めるもの。
現実界の例は母子一体の万能感、死、トラウマ、存在そのもの。

1.5.想像界・象徴界・現実界まとめ

想像界=イメージの世界、人間が認識するいわゆる「現実」
象徴界=シニフィアンの世界、無意識
現実界=想像界・象徴界に含まれなかった部分、「存在」そのもの、欲動の原因

でした。

斉藤環さんが「生き延びるためのラカン」で説明されていたマトリックスの例が個人的に分かりやすかったので引用します。

マトリックスの世界が想像界
マトリックスの世界を動かすコンピューターのコードが象徴界
マトリックスの世界の外の荒廃した現実が現実界
に当たります。

また
想像界=コントロール可能
象徴界=コントロールしているようで自分がコントロールされている(無意識)
現実界=コントロール不可
な世界だとも言えます。

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そして想像界・象徴界・現実界は上図のように互いに繫ぎとめあって世界を構築しているとラカンは考えました。
この図のことをボロメオの輪といいます。ラカンと言えばボロメオの輪と言われるくらい重要です。以降でも出てきますので、押さえておいてください。

想像界・象徴界・現実界についてなんとなく理解できたでしょうか?
今はよく分からないかもしれませんが以降の実際の応用を見ていく中で掴めてくることもあると思います。
次項では現実界と強く関わる欲動と欲望について説明いたします。

2.欲動・欲望

人々の欲望はどこからくるのでしょうか?
ラカンの想像界・象徴界・現実界を用いた説明を見ていきます。

2.1.享楽と快感

フロイト以前では快感原則という手法で欲望が解釈されていました。
これは人間は快楽(=心地いい気持ち)を求め苦痛を避けることが欲望だという考えです。

しかし、精神分析学の実践の中で人間はあえて快楽に反する行動もとっていることに気づきます。
例えば忘れた方が楽になるトラウマをいつまでも忘れることができないなどですね。

この解釈にラカンが生み出したのが「享楽」という概念です。
享楽の例としては射精、絶頂そして死です。
(トラウマもそうです。詳しくは神経症の項で説明します。)

共通点が分かりますでしょうか?

そうですね、ラカンは「享楽」とは現実界(=存在そのもの)と完全に合体するような強烈な体験のことだと定義しています。

現実界と一体になることは単に気持ちいい体験というよりは自分の存在そのものを揺さぶるような体験であり、むしろ苦痛な体験でもあります。

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マトリックスの例を思い出してみてください。
基本的にはマトリックスの世界という「現実」=想像界で暮らす方が快適です。
一方でマトリックスの外の世界という「現実そのもの」に触れることは強烈な体験だったと思います。

実際、「死」もまた現実界と接する=享楽の体験です。
死ぬ瞬間は想像や象徴を介さずに現実界と接することになるためです。
「享楽」が気持ちいいとは全く別物だということが分かると思います。

まとめます。
人間は快感とは別に享楽を求める。
享楽とは現実界と一体になる体験のことである。

2.2.生の欲動と死の欲動(エロスとタナトス)

享楽を求めることを欲動と言います。
生の欲動と死の欲動、エロスとタナトス、リビドーとデストルドーなどと聞いたことはないでしょうか?
人は生きたいという気持ちと死にたいという気持ちの両方を持って生きているというものです。

欲動はエディプス・コンプレックスの母子一体の万能感(=現実界)を再び求めていることに由来するとフロイトは解釈しています。

このように考えると、欲動のうち母子一体の万能感に由来する「性」や「生」に向かったものが生の欲動、「死」に向かったものが死の欲動であると解釈できます。
生きたいと同時に死にたいと思う一見複雑そうな感情も源泉は同じだと考えられるのです。

2.3.欲望と対象a

しかし、現実界の説明で触れたように本当に現実界と接することは死を除いて不可能なのでした。

そこで出てくるのが対象aです。
対象aと書いて、たいしょうアーと読みます。
ボロメオの輪と同様にラカンと言えば対象aと言われるくらいラカンの主要な概念です。

対象aとは一言で言うと欲望の原因です。

「欲望」もこれまでに使っていない言葉ですね。
欲望とは欲動がより実際的な欲求になったものです。
あれがほしい、これがしたいなどです。

現実界と直接接することは不可能。でも現実界と接したい。
逆に、享楽は危険すぎるため避けたいという気持ちもある。

その結果現実界と象徴界・想像界の接点であり、享楽ほど危険すぎないものを求めるようになります。
この接点が対象aです。そして対象aが欲望の原因となるのです。

ボロメオの輪で言うと想像界・象徴界・現実界の重なる部分が対象aだとされています。

対象aの例としてはお金や乳房、糞便やまなざし、そしてファルスなどです。
具体例を見ると対象aが現実界(「性」や「死」や「幸福」)が象徴界・想像界と接する点という意味がなんとなく掴めたでしょうか?
幸福そのものではなく幸福の象徴であるお金が欲望の原因になる。
母子一体の万能感ではなく、その象徴である乳房が欲望の原因になるのです。

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対象aは想像界・象徴界・現実界の接点でした。
そのため対象aや欲望は想像界・象徴界・現実界の特徴を持っています。いくつか紹介いたします。

1.欲望は決して満たされない
対象aは現実界(存在そのもの)の代替でしかないため決して満たされません。
物質的に満たされた現代においても精神的に満たされない思いを感じている人が多いと思います。

2.欲望は他人の欲望である
想像界や象徴界は他者性を持っていました。そのため対象aもまた他者性をもち、他者との関係の中で変化していきます。
他人が欲しいと思っていると自分も欲しいと思う経験は皆さんもあると思います。

3.欲望はファルスへの欲望である
ファルスは対象aの一つです。母子一体の万能感という現実界を手に入れる力の象徴、それがファルスでした。
権力や財産を求める気持ちはファルスへの欲望の変奏であるとラカンは述べています。

まとめです。
想像界・象徴界・現実界の接点が対象a。
対象aが欲望の原因となっている。

以上がラカンの主要な概念となります。
最後にこれらの概念の精神分析への応用例を見ていきたいと思います。

3.神経症・倒錯・精神病

そもそも想像界・象徴界・現実界の概念は神経症や倒錯、精神病などを治療するため解釈し、理解するツールとして生まれたものでした。
本項では神経症・倒錯・精神病をラカンはどのように解釈したかを見ていきます。

3.1.神経症

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神経症とは一言で言うと不安を抱えた状態のことです。

具体例として神経症の中のヒステリーについて紹介します。

ヒステリーの具体的な症状としては転換ヒステリー(精神的な不安が身体の不調に転換した症状)、不安ヒステリー(恐怖症)などがあります。

しかしいずれにしてもヒステリーとは「トラウマ」が抑圧され症状に変化した現象であるとラカンは考察しています。

この「トラウマ」は現実界の一つと言えます。
自我が受け入れられない「イメージ」、つまり想像界として消化できない「現実そのもの」(=現実界)がフラッシュバックすることがトラウマだとラカンは考察しています。

実際ヒステリーの解決策は不安に思っていることを話したりノートに書いたりして言語化(=象徴界へ消化)することだと言われています。

ラカンはいわゆる普通の人は神経症だと述べています。
人は皆エディプス・コンプレックスを介して母子一体の万能感を永遠に喪失してしまっている状態のため、根底に不安を抱えて生きているとラカンは考えているのです。

3.2.倒錯

性的倒錯(フェティシズム)、いわゆるフェチも精神分析的な問題として考えられています。

具体例としては下着フェチや脚フェチなどで、性行為とは直接関係のない部位へ興奮することを性的倒錯と言います。

フェチは享楽の代替に興奮することです。そのためフェチの対象=対象aの例だと言えます。

この項ではその中の下着フェチの解釈について紹介いたします。

男はエディプス・コンプレックスを経て去勢を経験していました。
以降絶えず男は去勢に対する恐怖を感じています。このことを去勢不安と言います。

そして、去勢不安を感じるのは自分が去勢されるそうになる時だけでなく、
女性にペニスがないことを発見する時にも去勢不安を感じると言われています。

そのため下着フェチとはペニスの不在が未確定な状態を好んでいる状態だとフロイトは解釈しています。

一方でもちろん頭ではペニスがないことなど分かっています。

つまり倒錯とはペニスがないというイメージ(=想像界)の否認と頭(=言葉=象徴界)ではペニスがないと分かっているという「分裂」した状態のことだと解釈されています。

男の人の方が性的倒錯者=変態が多いのは男は去勢不安があるのに対して女は元からペニスがないため去勢不安がないためとも解釈されています。

3.3.精神病

精神病とは今日で言う「統合失調症」の事です。

具体的な症状としては「自明性の喪失」つまり社会で当たり前とされる感覚が分からなくなることや、文脈が読み取れなくなること、幻覚などが挙げられます。

ラカンはこの精神病を「象徴界が故障した状態」だと解釈しました。
つまり去勢という過程がうまくいかず、他者と関わるコードである言葉=象徴界を正しく獲得できていない状態であると解釈しています。

その結果文脈や社会の当たり前の感覚が分からなくなっています。
また、現実界を象徴界として消化できないことから、恐ろしい「現実界」を無意識で抑圧できないまま受け止めることになり、幻覚や妄想を見るようになっていると解釈しています。

あとがき

以上で読解のためのラカン入門を終わりたいと思います。
「想像界」「象徴界」「現実界」「鏡像段階」「エディプス・コンプレックス」「シニフィアン・シニフィエ・記号」「享楽」「生の欲動と死の欲動」「欲望」「対象a」などがなんとなく掴めてくださっていれば幸いです。

読んでいる中であ、これってあのアニメのことかもだとか思いついたりしたでしょうか?
インスピレーションの沸くまとめになっていたら嬉しいです。

本まとめではかなり大胆な省略や飛躍を行い、厳密性に欠けたものになっています。
また、概念・応用例共にほんの一部しか紹介できていません。
このまとめを足がかりに、自分でラカンの勉強を進めてくださることを望みます。

参考文献

文体には癖がありますが、豊富な具体例でラカンの概念が分かりやすく紹介されています。
ラカンのことまだイマイチ分からないなーという方は1冊目に是非!

ラカンの思想の変遷に沿って丁寧にラカンの概念を説明しています。
その分ラカンお得意の難しい図も多用されているので初学者には少し難しいかもしれません。
図はあくまで比喩という認識を持って、一週目はパラパラと、二週目は精読という読み方がいい気がします。

僕は立ち読み程度しかしていないのですが、ラカン研究者の方々がこぞって勧めているラカン入門書がこちらになっております。
難しすぎず、省略しすぎず入門書の王道とのことです。

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