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わたしの自分史ー今のわたしができるまでー⑥

わたしは、ひとつのことを熱を失わずに長く続けられるタイプだとは思っていなかった。
しかも、わたしは家でコツコツタイプではなく、何かする時は外に出たり、通わないとできない人。

こどもの頃の習い事はピアノとそろばん…ほんの少し、市の合唱団にもいた。
ピアノは4歳から14歳まで習っていたけど、練習嫌いで不真面目だった。ピアノ発表会も何度か出たけど何を弾いていたかまったく記憶にない。母と妹と3人で連弾で発表会に出た記憶(ミスが多くてボロボロだったw)と、なぜかその会で、こども達で劇をしたことはうっすら覚えている。
中学生の時に一度だけ、合唱コンクールでピアノ伴奏をしたことがあって、それだけは頑張った。
そろばんも小学生の頃に通っていたけど、どうしても3級に上がれなくてやる気がなくなった笑
合唱団も、歌は楽しかったけど、まわりの子達になかなか馴染めなくて行かなくなった。

そんなわたしだから、ヨガをやってみると決めた時、無理はしないことにしていた。
チケットは月4回チケットからスタート。
ウェアも、形から入って続かないと嫌だし、見た目よりヨガが出来ることの方が大事と、どこにでもあるルームウェアを長く着ていた。

わたしは はじめから、パワフルに動くスタイルのヨガレッスンを受けていた。ゆったりリラックスなヨガに出会ったのは、かなり経った後。

やっぱりわたしは体を動かすことが好きなんだなぁと実感したし、出来ないなりに先生の真似をしたり、誘導の声に耳を澄ませて、自分の体と呼吸に意識を向ける練習をしていた。
鏡のないスタジオで、自分の体が一体どうなっているのかわからない不安もあったし、気にしないようにしても周りの人が気になったりもした。
あの人すごいな、、うまいなぁ、、と比較が始まると、先生の言葉を思い出してすぐに意識を自分に戻した。
はじめはなかなか呼吸と動きがうまくつながってくれないし、下半身の力強さがこんなに必要なのかと、足に力を伝えることの難しさを思い知った。ダウンドッグもきっと台形だったし笑、胸も気持ちよく開かなかった。

それでも、終わった後の爽快感と穏やかさは何物にも変えがたいほど心地よかった。
呼吸の深さを感じたし、体に意識を向けることも面白く感じていた。レッスン前に出ていた咳が止まって、体の詰まりが取れる感覚もあった。
そして、背負った重たい荷物を、ヨガをしてストンと降ろす感覚も。

自分の内側の変化を実感しながら、次第に、ヨガがうまくなりたいという気持ちも無意識に芽生えていった。

数ヶ月経った頃、フリーパスチケットに切り替えた。空いた時間を見つけてはスタジオに通ってレッスンを受ける日々が、ここから数年続く。

ヨガのレッスン自体も好きだったけれど、わたしはヨガを始める前の先生のお話も好きだった。
ヨガ哲学をベースにしたお話や、今日はどんなレッスンにするのか、など、先生によって異なる考え方やものの見方を聴きながら心を落ち着かせていた。時には、それ、わたしに必要な言葉!っていうのが、偶然、先生の口から語られることもあって、涙が出ることもあったり。

この数年間は、たくさんの素敵な先生や生徒さんに出逢って、繋がって、ヨガが自分の中に定着していった時期だった。ワークショップやイベントに参加する機会も増えていった。

そんな風に過ごしていた中で、、4年ほど前。
10年お付き合いをした彼とお別れをして、しばらく経った頃。
通っているスタジオで、マントラのワークショップが開催されることがわかって参加することにした。

マントラはサンスクリット語のお祈りの言葉。
お経に似た感じもあって、唱えたり聴くことで、心を護ったり解放したり、癒しとパワーをいただくことができる。ヨガにおいてもマントラは欠かすことのできない存在。

マントラに触れたことはあったけれど、学ぶのは初めて。このワークショップで初めて出逢った先生おふたりに、わたしは魅了された。
ふたりの姿、ふたりの音や言葉から出ているエネルギーの大きさを感じたのだと思う。
あたたかくて、やさしい愛も感じた。
その冬、山梨でリトリートをやるよとお知らせを最後に聞いて、とても興味が湧いた。
それをふたりに伝えると、おいでよー!と快く返してくださって、その言葉で決めた。

自分と向き合うために山梨に行くことにした。

⑦に続く

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