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わたしの自分史-今のわたしができるまで-①

2019.10.13  満月の前日。
ずっと知りたかった、わたしの魂のルーツについてセッションを受けることができた。
そのセッションは、側から見たらとてもファンタジーなものだったんだけど、ストンと納得してしまうもので、とても幸せな時間だった。
終わってから戸惑いが出てきてしまったりもしたけれど笑、あの時の感覚がすべてだと思う。


ルーツを知ったことで、改めて自分を振り返りたくなった。
というか、バリに行くまでに振り返りをしてって内側の声に言われているような気がしていて…。
思い切って書いてみようと思う。

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わたしは、父・母・祖母・わたし・妹の5人家族の家に生まれた。
物心つく前から…たぶんわたしが生まれる前から喧嘩の絶えない家庭で、怒鳴り声や扉を激しく閉める音を聞くのはほぼ毎日。母の泣く姿を見ては、胸が締め付けられるのを感じていた。
楽しい記憶は…あったんだろうけど、ほとんど記憶になく、友達の家が羨ましかった。なんでこんな家に生まれたのかといつも思っていた。
楽しそうに笑ってるこども時代の写真、ないような気がする。
なぜか変顔をしている写真は何枚かあるんだけど笑、それはやりたくてやってた訳じゃなかったんだろうな。

幼い頃から、親の目や機嫌を敏感に感じ取っていた。
親が忙しくしていたり機嫌が良くないと、トイレに行きたいということさえ言えなかった。(家のトイレなのにね。まだひとりでトイレに行けない年齢の頃の記憶)
あれが欲しい、これがやりたいということも遠慮が先に立って言えなかった。

いろんなものを感じ取りはするけれど、それに合わせてうまくやれるこどもではなかったから、怒られたり叩かれることはしょっちゅうあった。しまいには、「産まへんかったら良かった」なんて母親に言われてしまったこともあって、愕然としたことを覚えている。
でもその怒りさえも、こどものことを想って発しているわけではないとわかっていて、親自身のイライラをぶつけられていると感じていた。

だからこそなのか、滅多に熱を出さないわたしが熱を出した時、母に抱きしめてもらったり、父に介抱されたりと、やさしくしてもらったり愛を感じると、とても嬉しくて安心したことは今でも覚えている。

家庭のごたごたは、わたしが大学を出てから数年後…祖母が亡くなるまで続いた。
親の喧嘩を止めようとしたこともあったし、泣いたこともたくさんあったけれど、高校生になる頃にはすっかりそれらをしなくなっていた。
また始まった。と感情をしまい込み、部屋にこもった。
よくグレなかったなぁと我ながら思う。
学校もまじめに通っていたし、そこそこ優等生だった。
学級委員長をしたこともあったし、生徒会にいたこともあった。

グレないかわりに、心底ひねくれてしまった。
『親は世間体ばかり気にして"わたし"に関心があるわけではない。誰かとわたしを比べたり、いつも喧嘩ばかりして、ちっともわたしを見てくれていない。早く家を出てやる…!』
まともに親とコミュニケーションを取った記憶がない。
心の底から、親にかわいいと言われたこともなければ、叱られた記憶もない。
大事にされたかったし、愛情が欲しかった。

わたしは、ずっと窮屈で暗い中にいて、光のある方を探すけれど見つからなくて、早く大人になって自由になりたかった。
大人になったら自由になれると思っていた。
ほんとのわたしは明るくて、好奇心旺盛で、キラキラ輝いてるってことを、いつか周囲に見せつけたかったし見返したかった。

そんな気持ちを抱えていても、好きなことはあった。それは表現すること。
絵を描いたり、歌ったり。国語の教科書を朗読するとか、学年で行う劇や合唱コンクールが好きだった。小学生の頃、市の合唱団にほんの少し入ってたこともあった。
そして、大人になったら声優になるという夢を持っていた。
純粋に、やりたい気持ちや興味で溢れていたんだけど、一方で、それを叶えてキラキラしたわたしを見せつけるんだという気持ちもあった。
今思えば、すごくネガティブなエネルギー。笑

もちろん親には反対された。(専門学校の体験入学に父親がついてきた時、カタブツなお父さんが賛成するはずないとわかっていたし、わたしもわたしで暗い子だったから周りとなじめず最悪だった。笑)
親と本音で話すことをしてこなかったわたしは、もちろん自分の熱意を伝えられず、大学出たら好きなことやっていいよという親の言葉で、勉強もそこそこに、行くつもりのなかった大学に入った。
大学は、各大学紹介の本を見て、「精神医学」「精神保健」というワードに惹かれて、福祉に決めた。
ほんとにこんなんで、よく合格したと思う…。
あ、そういえば、絵だけは勉強してもいいって言われたんだった。結局しなかったけれど。

"高校デビュー"って言葉をよく耳にしていたけれど、わたしの場合は、"大学デビュー"だった。親とも距離を取ることができて、自分の居場所が見つかった大学生活。

②へ続く

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