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怖いから怖いと言う

まったく安易に言ってるわけではなくて
こういう気持ち、氣を持ってる持ってないで
自分の状態って変わってくると思うから
前から決めてたし、言ってたんだ。

わたしはコロナにかからない。

最近それに付け加えて

コロナにかからないし、コロナを保菌することもない。たとえ保菌しても人にうつすこともなければ、人からもらうこともないと。

中国で流行し始めたあたりと今とでは様相があっという間に変わっていて、世界も日本も生活の制限が出てきたり、ウイルスの脅威をまざまざと見せつけられて世界中で不安と恐れが増しに増している。日本でも緊急事態宣言が出されることになった。

この間も、これは咳やくしゃみ以外でも、同じ空間にいるだけで空気感染するウイルスで、今ヨーロッパで流行しているそれは、当初の毒性よりも強くなっている。このままいけば東京もニューヨークのようになるし、大阪や京都にもその流れはやってくるだろうと、医療の研究をされている先生が最新のデータをもとに仰っていて。

はじめに書いた決意が揺らぐほど、さすがにわたしにも不安というか…

いつかかってもおかしくない状態なんだな

と理解した。

同時に、かかった時に軽症で済むように、自分の心身により気を遣おうと思った。
決意も持ち続けている。

こんな状況になってしまっているけど
わたしの中では はじめから変わらないの。
型や毒性や性格は違っても、インフルもコロナもその他のものも、みんな同じウイルスだということ。ただ存在しているものだということ。
新型だから、治療法が見つかってないから、ワクチンがないから、人間から見たら脅威にうつるだけだと。
インフルだってワクチンや治療法があっても、毎年たくさんの感染者が出るわけで、重症化することだってある。だけれど、わたしたちはそれをわかっていながら普通に生活している。
それは、インフルエンザウイルスが当たり前に存在することを認めているからだ。
きっと、今回のコロナウイルスもなくなることはなくて、当たり前に存在するものになっていくんだろうと思う。他のウイルスだってそこら中にいるわけだし。コロナと共存する世の中になった時が、騒動の収束と言えるのかもしれない。

もちろん、なるべく感染しないように気をつけたり、感染を広げないような対策は大事だし当然やらないといけないとわたしも思う。

でも、なんだか言葉にできない違和感がずっとあって。。なんでこんなに大騒ぎで、不安と恐れまみれで生活しないといけないんだろうって。
というか、恐怖を煽るメディアやSNSの情報が溢れすぎていて、何が正しくてどれを信じればいいのか、だんだんわからなくなることの方が怖い。
親からもしつこいぐらいに、怖いから気をつけろってメールはくるし、わたしも感度が高いのか、不安や恐れの集合意識にひっぱられそうになる。

感染しないことが善で、感染することが悪という考え方もあったりして、さっきも言ったけど、どんなに対策してもかかる時はかかるし、お店が悪いわけでも、保菌している人が悪いわけではない。誰だってなりたくはないんだから、誰のせいでもない。
人の行動を監視したり、批判する暇があったら、自分のことを一番に見てあげた方がいい。

これもずっと思ってることだけど…
不安や恐れの意識を持ち続ける限り、目の前の現実はその状態のものが映し出される。
体と心は繋がってるから、体に不調が出やすくなるかもしれない。
目の前に映るものは、所詮、映画かドラマのようなものでしかなくて、過去の意識が現実をつくっているにすぎない。
必要で正確な情報を見極める力や冷静さは、常に持っておいた方がいいに越したことはないけど、何より現実にハマりすぎないことだと思う。
この瞬間の意識に目を向けて、深呼吸をしながら、不安や恐れを手放した時の安心感や明るさ、あたたかい気持ちを思い出すこと、味わうこと、そして自分の手で自分を包み込んであげるのもいい。
心のざわつきは軽減されるし、冷静さが戻ってくる。

とはいえ、
今回のことで、自分の中の不安や恐れも炙り出されてきていて。。
それは何に対してかなぁと自分に潜ってみたら、感染することではなくて、自分のこの先の不安や恐れだった。

コロナの影響だから仕方ないのだけど、思っていたように働けなくなったことでお金の不安が出てきたことがひとつ。
(お仕事あったら連絡ください!!!)

不安や恐れからの解放…そのためにみんなが少しでも自分の内側と繋がってニュートラルに戻るためにヨガは最適だから何かできればと思い始めた。
まわりがオンラインクラスを始めているのを見て、それがいいよねぇと思う一方で、イントラぺーぺーのわたしにオンラインでクラス出来るのかとか、新しいことを始める勇気が出なかったり、自信のなさや焦りが、わーっと出てきた。

あー、わたし怖がってる。
恐れや不安を手放すワークをしたりしてたけど、怖がってる。
今この瞬間しか生きていないとわかっていても、現実は映画だとわかっていても、怖い。
でも怖いと思いながら、どこかで大丈夫とも思っていて、わたしは一体どうしたいのだろう。

…と、訳のわからないことを自分の中で繰り返していた。

ひとつ言えることは、コロナって、わたしにとっては感染の恐れ以上に、自分の内側にある恐怖を教えてくれるものだった。


今日、延期になっていたマントラ講座がZoomで開催された。
久しぶりに会う先生と皆さんの顔を見て安心したし、嬉しかった。
練習も、オンラインでちゃんとできることがわかって次の会も楽しみになった。

おもしろいことに
自分が実際にオンラインでの学びを体験したことで、わたしもオンラインでヨガクラスできるかもと謎の自信が出てきた。笑
どうなるかわからないけど、19日に予定していたヨガクラスをZoomでやってみることにする。
昨日とは打って変わって、やる気が出てきた自分に笑ってしまう。笑
ひとりでも来てくれる人がいるから、やっぱり誰かのために頑張ろう、やってみようと思えるんだなぁ。

わたしは暗い気持ちで毎日を過ごしたくないし、何かを比べたり批判したいとも思わない。
今、やることと出来ることを自分に寄り添って見つけて行動するだけだ。
それが人よりスピードが遅くてもいいし、波があったっていい。
情報にしても、何かを決めることも、自分が納得しているかどうかで判断する。

怖いなら怖いって言っちゃった方がいい!と思わせてくれた、みつろうさんのブログに感謝。
小さな無意識がおおきなうねりを引き起こす。


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