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わたしの自分史ー今のわたしができるまでー⑧

両親とは、もう10年以上離れて暮らしている。
まともに向き合うこともしないまま、元彼さんとルームシェアをするという流れに乗って、いつのまにか家を出ていた、という感じ。

わたしにとって親との関係は、良好で、友好でいられる距離感が大事で、今となっては、向き合うのも向き合わないのもどちらでもいいなぁと思う。
これは決して悲観してるわけではなくて、向き合わなければ…と自分を無理にそこに持って行こうとする方が、わたしにとっては不自然で窮屈なのだ。しんどいしね。
お互い会える時に会って、楽しい時間を過ごして、まじめに話したくなったらまじめに話して、何かを聴きたくなったら質問したり、そんなラフな感覚でいいと思うようになった。

昔から、わたしにとって自分と向き合うことは、こどもの頃のわたしの感情と向き合うことだったように思う。
否が応でも親がそこにはいて、親にされたこと、言われたこと、その時の感情がこびりついていた。
ふいに昔を思い出しては泣くこともたくさんあって、その時は、あの時泣けなかった分泣いておこうと思ってたな。

ヨガをしても、響く言葉に出逢っても、こどもの頃の想いはなかなかほどけてくれなくて。。

なんでかな、と思ってたら、ある時気づいた。
「わたしよりしんどい人いるんだから、こんなんでしんどいと言ってはいけない」
…と、ずーっとどこかで思っていたことに。
自分で自分を苦しめて、自分がしんどい苦しいという気持ちを置き去りにしていた。
わたしは誰と比べているんだろう。
比べる必要なんてなくて、頑張ってきた自分を認めてあげるだけで良いのに。
こどもだったわたしに寄り添って、共感して、大丈夫だよと言ってあげることが何よりも癒しなんだと思い知った。

わたしはわたしでこうして時を重ねるのと同じように、親も時を重ねている。
親も日々何かを学びながら生きているはずで。
親子だけど、それぞれ生きる上でのテーマを持って生まれてきた、違う人間。
それをわかっていると、親の機嫌や言葉に囚われることが減って随分楽になった。
そして、わたしがこどもの頃の親の年齢に近づくにつれ、親だって不完全だし、色んな想いの中で必死だったんだろうと、親への理解や許す気持ちも芽生え始めた。

数年前…
父は定年退職後、体調を崩し、病気を患った。
その時父は、生死を肌で感じて、考え方が変わったと言っていた。

「人生は長いようで短い。いろんな経験も必要。何があるかわからんし、好きなことやればいい」

世間体ばかりを気にする頭のかたい人だと思っていたのに、こんな言葉を聴くとは思ってもいなかった。

ある時、友人から、誕生日は親に感謝する日だよと教えてもらったことがあった。
誕生日を迎えて、母に感謝のメールを送った。
すると、母から長文のメールが返ってきた。
それは、わたしが生まれた日の母の記憶。

雪の降る日…わたしのふたりの祖母は、ひとりは母に精のつくものを食べさせ、もうひとりは仏壇に手を合わせて祈っていてくれた。
正午ぴったりに生まれたわたし。
父も駆けつけて来てくれたそうで、父はわたしに握手をしてくれたんだとか。

産んでよかったとこの時母から言われて、こども時代に母の口から出た「産まなければよかった」は、本心ではないことがわかって安心した。

今は、こうしてやりたいことを自由にできる環境にいて、親はそれを見守ってくれている。
ひとりになって、親の有り難さもわかった。
自分が望まれて生まれてきたこともわかった。
それを自分の中に落とし込むのに時間がかかったけれど、その時間があったから今のわたしがいるんだと思う。

⑨へ続く




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