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わたしの自分史ー今のわたしができるまでー⑤

ヨガに出逢ったのは、2011年の秋。
30歳目前の29歳の頃。

セラピストをしていたわたしは、ヨガに興味があるものの、一歩を踏み出せずにいた。
そんな時、偶然、前職の元同僚の子がヨガの体験に数人で行くというので声をかけてくれた。
タイミングも場所もバッチリだったので、二つ返事で体験クラスを受けることにした。

ヨガの知識はほとんどなかった。
雑誌で、太陽礼拝やヨガのポーズの解説を見たことはあったけど、ヨガがどんなものかは知らなかった。漠然と健康、美容のためのものだと思っていた。

体のケアのために。。
そう思いながら、体験クラスへ。

初めてヨガマットの上に座り、先生の言葉に耳を傾けた。
その時の先生の言葉は、今でも覚えている。
「ヨガマットは自分だけの世界です。まわりの人と比べないで、自分だけに集中しましょう」
この言葉がグッと響いて、自分だけ見ればいいんだと安心した。

この時まで、わたしは事あるごとに誰かと自分を比べていた。親も、誰かとわたしを比べては、あぁだこうだと言っていた。
誰かを羨ましいと思うほど、自分が惨めになったり、苦しくなったり、怒りのような感情を抱いたり。その逆もあったと思う。あの子よりはマシ、優れていると思えると安心して。
誰かとの比較の中で生きて、一喜一憂していた。
人の幸せも素直に喜べない。
無意識のうちにそれが癖付いていた。

大学生になって、自分や人と向き合っているつもりだった。社会人になって、新たに自分の居場所を見つけて、満たされていると思っていた。
わたしは成長していると思っていた。

だけど、ふいに過去を思い出すたび、辛くなる。
こども時代の悲しさ寂しさを抱えた自分は、まだわたしの中にちゃんといた。
わたしは変わったと思っていたけど、こどもの頃に味わった想いは昇華できていなかったし、自分のことを自分で認め、許してあげられていなかった。

そして、わたしはわたしの人生を歩いているようで歩いていなかった。
当時は、彼のレールの上を一緒に歩いていたのだと思う。彼がいればそれでいい、なんて、今では考えられないくらい視野が狭かった。
どこに行くのも一緒な時期も長くあった。

こうして振り返っていると、ここまでの道のりが、ほとんど親や人に言われるがままだったことがわかる。進学もボランティア活動も、仕事でさえも…最後は自分で決めているんだけど、わたしはこうしたいという意思はあまり見受けられない。

だから、なんだ。
自分の意思や自分への信頼がないことが、先行きの見えない将来に対して不安ばかりになって、どうしていったらいいのか迷子になってしまうんだ。

未昇華の想いたちと向き合った経験については、次で書くことにして、、

そんな先生の言葉で始まったレッスン。
初心者向けのやさしいクラスだったと記憶している。
レッスンの最中でも、比べないこと、呼吸することは繰り返し言ってくださっていた。
普段動かさない筋肉を動かして、ねじったり、伸ばしたり…呼吸を感じて…

終わった後、体が楽になっていた。
と思ったら、あれ?心もスッキリしてる…
体のためのヨガだと思っていたのに、心の軽さに驚いた。

この時の感覚を忘れることができなくて、次の春ようやく、この先生のスタジオで、ヨガを習ってみることを自分で決めた。

⑥へ続く

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