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わたしの自分史ー今のわたしができるまでー⑦

山梨に行くと決める前のわたしは、とても世界が狭かった。ヨガで見える景色が少し広がったけれど、ひとりで生活をリスタートさせてからもまだまだ先行きの不安も抱えていたし安定を求めていた。
自分を知るために、ヨガ以外でも心のあり方について、著名な方のブログや本を読んだりしながら発見や気づきを深めてはいたけど、それだけにとどまっていた。

お金や時間…いろんな制限を自分にかけて言い訳をつくって、起こりもしていない将来に不安を抱えるばかりの自分から、きっと何とかなると思える自分になりたかった。そして何より、リトリートのテーマである、「わたしを見つめる」ことをとにかくしたかった。自分を知りたかったんだよね。

2015年12月。
初めての山梨。どれくらいぶりかもわからないくらいの、電車を乗り継いでの久しぶりの遠出。

リトリートスペースは、木のぬくもりが感じられる、やさしく、広々とした空間。暖炉がますますぬくもりを与えてくれる。

3泊4日のリトリートでは、テーマに沿ったいくつかのワークをみんなで行う。
ここでのルールで印象的なのは、「みんなに合わせないこと」
誰かに合わせて動かなくていい。やりたいことをやりたい時にやる。自分の気持ちに正直に素直に従うこと、だった。

生まれてから今までの積み重ねた経験から、好ききらいがうまれる。
何がきらいだったか?心や体が不調だった時は?満たされない時、満たすために何をしてしまうか?自分でありたくない自分はどんな時に出てくるのか?どんな時にエネルギーが下がったか?最悪のシナリオは?…それぞれに湧き上がる感覚も思い起こし、過去から現在までの自分を振り返る、きらいのワーク。
反対に、好きだったことは?わたしらしくいられる存在はどんな人?自分にとって心地いいものは?人生の中で幸せだった時は?…好きのワーク。

2人ペアでそれぞれの項目をひとつずつ、シェアをする。誰かに自分のことを話すのは、ほぼ初めてだったけど抵抗はなかった。

きらいのワークは予想通りとても辛くて大変だった。でも、わたしは、ここと向き合わないといけなかった。ここで出てきた気持ちや感覚、親への感情が溜まったまんまだったからだ。

先生達から、初めて逢った時、この時、その後再会してからも、事あるごとに言葉をもらっていた。
「口から出てくる想いが重すぎるし溜まってる。苦しくなる。少しずつ出していこう」
「うまく言えなくていいから、想いを吐き出すんだよ」
こんな言葉も。
「けいちゃんは、ただそこにいるだけで安心感を与えられる人。そこにいるだけでいいんだよ」

先生や、そこで出逢った人達と過ごす時間は、自分という存在は、このままで肯定されているのだと感じさせてもらう時間だった。
しあわせだった。
本当に満たされるとは何なのかを教えてもらった。
外側から表面を満たそうとしても、決して自分の隙間は埋まらない。
自分の内側から湧いてくる、やさしくてあたたかい気持ちこそが自分を満たしてくれる。

このリトリートに参加して、また少し自分を知ったわたし。
この時、まだまだ自分を大切に出来ていないしコントロールも出来ていないけれど、それでも自分の心と向き合い、寄り添い、泣いたり、悩んだりしながら、少しずつ、自分を受け入れた。

劇的に変わったとかはなく、ヨガや、ふと目にとまった言葉や、本やブログや、色んなものから影響を受けた。

一生自分自身と過ごすのは、わたししかいない。
わたしが自分を一番に愛して繋がってあげないと、自分があまりにもかわいそうだなぁと思った。いいところもそうでないところも認めてみようと思った。

そうやって自分の内側と向き合っていく中で、親への感情にも少しずつ変化が出てきた。

⑧へ続く

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