見出し画像

わすれちゃう前に

忘れちゃう前に残しておきたいなって思った高3の後期のこと。

後期になってすぐの時のわたしは3月になんだかんだ進路先が決まっているのだろうと思っていたはず。

でも決まりませんでした!進路。

脆弱なところをつかれて、だれから差し出された手も取れないで、沼に溺れてっちゃった時の記録を忘れないうちに残します。

高3後期始まってすぐ、なんだかんだ勉強辛いながらにも戦っていけてた。

秋ごろになると進路が早めに決まる人も出てきて、その1人がよく話す友達だった、

早く進路決まったことはあまり言ってはいけないのような指導があるけれど、仲良かったからなのか、わたしがたまたま決まってすぐ近くにいたからなのか、わからないけど、

振り返ってみれば聞きたくなかった。

(友達が悪いと言いたいわけじゃなくて。ただ私自身が受け流す能力がなかったんだなとおもってます。うわああああこのときこれがブッ刺さらない強さがあればーー😭たらればーー🥲)
聞いてしまった瞬間から、わたしと友達の間には大きな壁が生まれたような気がする。
私の家庭環境、片親だし、家族仲は良い!とは言い切れないし、友達は聞く限り、両親いるしすごく仲良いし、経済的にも恵まれてるようなこと(元気な時だったら嫉妬!!ぷんぷん!ってはねかえせたのかも、、)しか耳に入ってきてなくて、一気に大きな壁ができたように感じた。
友達の持っているものが、もうどうしても私がいくら勉強頑張っても、これからいくら頑張っても得られるものではなくて、これからどうしてもどうしてもこの劣等感を消せるものではなくて、その気づいてしまった劣等感は肺に穴が開くような傷だった。
だんだん水が入ってきて、浮力もなくなっていくようで、
思い返せばそれから、自分の環境と相手の環境を無意識に比べて劣等感にやられてしまうことが多くなっていた。
それからだんだん、40人ぐらいの教室に私1人だけ、学年のほとんどがいる進路集会の体育館でも私1人だけ、そんな孤独感を覚えるようになっていた。「受験は団体戦」それはあの時の私にはとても信じられなかった。1番の仲良い友達にすら、何も打ち明けることもできず、人の温かさが解らない冬だった。

だんだん日に日に起きれなくなってしまって、学校にも行けなくなってしまって、勉強も順調に進んでいたのに、誰もそんなこと言ってないはずなのに、勉強してるとこんなこともわからないの!?って嘲笑が聞こえてきて、
そんなことない。そんなことない。って必死に幻聴を消そうとする、音楽を爆音でかけてかき消そうとする、それでもすり抜けて聞こえてくる嘲笑うような声、苦しくて苦しくて、肺に穴が空いたようにじわじわ溺れていたみたいだった。

いろんな人が優しく話聞いてくれたりした、思い返せば恵まれていたな、、でも、肺に穴が空いてるみたいで、溺れながらおぼれながら、もうただただ毎日をギリギリで泳ぐことで精一杯で、差し伸べられた手を掴む余裕もなかった。

調子が悪くなり始めて最初は週4日、3日、だんだん週に1日になってしまって、
久しぶりに乗った通学の電車は溢れる高校生に対して劣等感しか湧かなくて、頑張れない自分が許せなくて、苦しくて、立っていられないぐらい気持ちが悪くなった。
久しぶりに登校した学校は登校してる人もあまりいなかった。頑張って授業受けてみたけど、幻聴は聞こえるし、冬の張り詰めた空気の中で壁はぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃ歪んで見えた。
そんな溺れて進めない毎日でも残酷なことに受験はちゃんとやってきて、

めっちゃ惨敗!

第二志望の受験前日にほんとにもう鬱すぎてるのか具合悪かったのかわからないけど吐いた。でも頑張って受けた。惨敗だったけど
あれ!後期始まった頃の思い描いてた未来とまーーったくちがうなんでこんなことにーーなことになっちゃいました。せつない。
もう卒業もわけわかんなかった。嘲笑もこわくてこわくて人に会うのが怖くて怖くて、学校行きたくなかったけど励ましてくれた人がいたからなんとかいった。そんなぐちゃぐちゃな気持ちのまま、きづいたら学生という肩書きが消え去ってた。そんな卒業だった。(終わり方わからない、雑!😭)

いろいろあったけど浪人できる環境だったのでいまはちくちくがんばってます、でもふとした時高3のことがフラッシュバックして、こんなことで!?って自分ですら思うし、あの時こうしてればって思うこともあるし、そして、受かったとしてもまた、、こんな、、って考えてしまうこともある。だけど、そう思えるだけ時間が経って、それだけ傷が癒えたのかなって今は思えるようになってきた。ちょっとずつでも前に進みたいな、


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?