お料理瞑想−終着点−

瞑想の終着点とはなんだろう?

『瞑想は、もう古い』と、とある方が言っていた。

せっせと瞑想してきた私には『えっ???』という言葉にならない衝撃です。瞑想に救われることが沢山ありました。始めて良かった。続けて良かった。勧めて良かった。どんな形であれ、ひととき止まってみる。しなくてはいけないことや、こなさなくてはいけないこと。昔、昔はそんなことやらなくても幸せで生きていたはずなのに。縛られてることから一瞬でも解放されることは、とても意味あることだと思っていました。

ちょっとづつ。それも変わってきている。というか、もう、変わった。

食べることは、生きること。生命つなぐために必要なこと。でも、どうやらやり過ぎている。食料危機に備えて・・・という言葉で再生数を稼ぐ動画も沢山でてくる。不安をくすぐって、お金にする。ちょっとづつ、終わらせていかないといけないよねぇ。

じゃあ、どうするの?っていうところに沼る時がやってきたようです。

自分のなかでは、すでに向き合ってきたこと。だけど、あまりに現実味がない。外に出すには中途半端。発信したくて瞑想しているわけではないので、特に触れずにいました。でも、ソロソロ、次のステップへ。

以前は、◯◯瞑想(動)から瞑想(静)へと移っていくのが正解だと思っていました。実際、そういうふうにも教わっていましたし。でも、ちょっと違うのだなと。

実際には目を開けてしっかりと見ている状態で、その見ているものが「自分」とわかること。目を閉じたなかでワンネスを感じるのではなく、これまで通りの日常なのに、宇宙と一体化していること。何を見ても、話しても、聞いても、食べても、触れても、嗅いでも、すべてがひとつだとわかっていること。説明むず・・・・かしいけど、そんな感じ。

そうなるには、お料理瞑想はかなり良いかも♬って、思うように急になりました!

感覚が変わる。とても良き変化です。その先に、答えが待っててくれる。お料理好き。だけで終わらず、その先へ、先へと進んでみると、行きたかった場所に辿り着くような気がしています。(о´∀`о)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?