オナニー憐れみの令
江戸の悪法として名高い「生類憐みの令」。
なんでも「生き物を殺すな」と言う令のもと、犬をいじめたら島流し、虫を殺しても処罰されるなんて言うとんでもない法令だったそうです。
その結果5代将軍綱吉が「犬公方」と呼ばれたのは有名な話。
実は侍の「切り捨て御免」を禁止した良法なんて噂もありますけどね。
先日なぜかこの令を思い出し、ふと思ったことがあります。
「オナニーは大丈夫なのか?」と。
調べたところによると、オナニーは旧約聖書の中にも登場し、かつての西洋では「オナニーがキリスト教の『罪』にあたるのか」という議論までされていたそうです。
(完全に現代のAVを観ながらオナニーする高校生です)
(割と大画面なのが羨ましい)
(今だったらプロジェクターでも持ち出さない限りこのサイズは無理です)
(こいつは左側のカップルがお気に入りみたいですね)
(でもちり紙がありませんね)
(あれ、もしかして右側に置かれた壺って…)
ちょっと脱線したので、本題に戻ります。
ここで言いたかったのは、オナニーなんて大昔から存在するってこと。
だから江戸時代の町民も武士も農民もしてるはずなんです。
そこで「生類憐みの令がオナニーをどう捉えたのか」が気になります。
だって、古い水を捨てることも禁止なんですよ。
中に湧いているボウフラが死ぬから。
そしたら私を含め、成人男性の95%が行っている儀式「オナニー」だって、何億もの精子を無駄死にさせている行為に他なりません。
これって生類を憐れんでませんよね。
じゃあどうなの?
検索した結果、何一つ出てきませんでした。
「含まれない:オナニー」ですって。
これだけインターネットが普及して、Yahoo!知恵袋やら、WikiやらNAVERが使われている中で誰1人疑問に思っていないことが腑に落ちません。
でも、オナニーして処罰されてたら話題になるはずですよね。
つまり、おそらくオナニーは禁止されていないんです。
なぜか?
私は大胆な仮説を立てました。
「死んだ精子よりオナニーした男の方が憐れむべき対象だから」です。
オナニーする男は悲しい生き物です。
誰に求められるでもなく、ただ行き場のない愛情を、誰に知られることもなくひっそりと、一切の迷惑もかけずに放出していく。
合コンに繰り出しもせず、バイト先の女の子にも、同じクラスメイトにも声をかけず、雨の日も風の日も1人家路につき、使う宛のない股間は皆からはデクノボウと呼ばれ、嫌われもせず、好かれもしない。
そう言うものに私は言いたい。
「強く生きよう」
と。
オナニーとはそう言うものです。
だから、ある意味で「生類憐みの令」は、オナニーの尊さを認識した上で、その崇高な行為にはお咎めをしなかった「オナニー憐れみの令」でもあるのです。
サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。