企画書の最後には「ボツ案」を載せた方がいい。
真面目な学びを共有したい。
これは企画する奴隷として働き始めて1ヶ月で最大の学びかもしれない。
それはここ数日のうちに作った2つの企画書で試した結果、とても効果的だった。
「企画書の最後には『ボツ案』を載せた方がいい」
立派なペライチにする必要はない。
名前だけでもいいから、箇条書きでもいいから、載せるべきだ。
とてもシンプルなことだが、その効果は絶大である。
その根拠をまとめたい。
1.企画は駄作でも「肥やし」になる
企画を作っているといくつもの企画が浮かんでは泡となって消えていく。
「ん、これをもじったら企画になりそう」
「ダメだ、実現可能性が低すぎる…」
「おお!この切り口は新しい!」
「でもダメだ、メッセージがブレる…」
「やった!これは素晴らしい企画だ!」
「ただの下ネタやないかい」
こんなことを1人で延々繰り返す。
そうして消えていった企画たちは墓場まで誰の目にも触れることなく死んでいくのだ。
勿体ない。
非常に勿体ない。
その企画を自分が「無理」と決めつけただけで殺してしまうなんて、自惚れにも程がある。自分を信用し過ぎている。
自分はそんなに「面白い」と「面白くない」を判断できる人間なのか?
そこをまず疑った方がいい。
企画には「陪審員制度」を導入すべきなのだ。
1人の裁判官ではなく、複数人で多面的に評価する。
でないと、結局面白くなるはずだった企画を冤罪で死刑にしてしまうことになる。
他の人から見たら別な可能性が生まれるかもしれないし、そのネーミングだけに感化されて別な人から全く違うアイデアが閃くかもしれない。
事実、人間で花岡さんと山根さんに企画を提案すると、どんどん転がって新しいアイデアが生まれる。その企画がクライアントに採用されたことも、この1ヶ月で2回あった。
どんな駄作でも次なる企画の「肥やし」になる可能性は多分にあるのだ。
だからボツネタでも提案資料に入れておくべきだろう。
2.企画を我慢し過ぎると便秘になる
前項に比べると比較的感覚に基づく部分にはなるが、自分の中で確信めいたものがあるので書いておきたい。
「企画には便秘がある」
欲を言えばホームランだけ打ちたい。
素晴らしい企画だけを思い付いていたい。
だが打率10割のバッターなんてこの世に存在しない。
ジョブズだっていくつも事業を潰しているし、売れなかった商品もたくさんある。
しかし成功数が多いのはなぜか。
下手な鉄砲を数打っているからだ。
確かにダウンタウンの松本さんは「ガキの使い」や「ごっつええ感じ」の企画会議で口にするアイデアがほぼ全て面白いらしい。そのせいで野沢直子が「ここでは勝てない」と絶望し、渡米したんだとか。
しかし、それも脳内レベルで言えば下手な鉄砲を打っているのだと思う。
口に出すものがヒット性なだけで、思い浮かんだ全てのアイデアを打席と捉えれば凡打も量産しているのだ。
簡単な話、凡打を量産せねばヒットは打てない。
だから「凡打しちゃダメだ」と思ってしまうと、そもそも打席に立つことが億劫になる。そしてヒットが減る。
これこそが「企画の便秘」なのだ。
駄作を躊躇することで、腸内に溜まっている良い企画も出てこれなくなる。
便秘を直したい人は下痢だろうが、鹿のフンだろうが、とにかく出し続けるだろう。それと同じだ。何でも出してないと金のうんこは出てこない。
そのためにも、躊躇しなくて済むように駄作のはけ口を用意しておくべきなのだ。
こんな風に。
※これは普段思いついた企画のボツ案を実際の企画書にまとめたものです。オールダジャレでした。
サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。