ジョーカーは関西人である。
ふざけたタイトルの割りにネタバレを含みます。
あらかじめご了承ください。
昨日、なんだか無性に映画「JOKER」が観たくなり、レイトショーで唯一やっていた京都の映画館まで行ってきました。
一度観ているのですが、その時は話を理解することで必死だったので、2回目はまた違った視点で映画を楽しむことができました。
そして驚くべき大発見をしたのです。
ジョーカーは“関西人”でした。
バットマンシリーズが好きな方も、関西人が嫌いな方も。
納得できるだけの説明をするので殴らないでください。(言葉の暴力を含む)
説明します。
ホアキン演じるアーサー(後のジョーカー)は辛いことがあると笑いが止まらなくなってしまい、それを「精神病」としてカウンセリングや薬の処方を受けています。
例えば冒頭のシーンでもバスで前に座っていた子供を顔芸であやしていると、心ない母親に「構わないで!」と一喝されてしまいます。
そんな場面でアーサーは笑いが止まらなくなり、さらに白い目で周りから見られてしまうのでした。
(バスで笑いが止まらなくなるシーン)
そしてこの後も、仕事を理不尽な理由で解雇されたり、恋人が全部妄想だったり、母親に裏切られたりしますが、ことごとく笑ってしまうのです。
そして、あることをキッカケにアーサーはジョーカーへと変貌を遂げていきます。その時に「これは病気なんかじゃない。本当の僕の姿なんだ」と、笑ってしまう自分を受け入れるのです。
混沌を愛し、残酷さを楽しむ。
他の人とは違うかもしれないが、それが自分なんだ。と。
その証拠に劇中内で「コメディーなんて主観だ」「僕の人生は悲劇じゃない、喜劇だ」というセリフも出てきます。
それを聞いた時に、私はこう思いました。
「こいつ関西人やん。」
関西人といえば常に「オチ」を求め、普段の日常会話が「漫才みたい」と他地域の方々から賞賛にも似た揶揄をよくされるのですが、それは全くその通りです。
我々、関西人は、どんなことでも「笑い」に昇華(笑化)させたいという思いが遺伝子レベルで刻まれているといっても過言ではありません。
だから辛いことでも、コンプレックスでも、おおっぴらにして披露して、お互いにいじりあって「喜劇」にしてしまうのです。それが種を保存するための手段だからでしょう。
例え話として、少し私の話をさせてください。
私は昔から軽い「色盲」であり、赤色や緑色、茶色なんかが苦手です。
前にいた東京の会社でもエクセルを見ては「このセルの色と、このセルの色って同じですか…?」と聞いてしまうことが多々ありました。
その度に「え、色盲なんですか…?」と少し気まずい反応をされてしまい、「まあ、全然生活できるんで大丈夫っすけどね!」と明るく振舞うのですが、それがやけに痛々しく映ってしまいました。
しかし、大阪に帰ってきて、また同じようなことが会った時、とある先輩が「え、色盲なん?」と聞いてこられました。
私はとっさに「そうなんすよ〜」と明るく返すと、先輩は返す刀でこう言います。
「じゃあ、このパンは何個に見えるの?」
私はすぐさま「いやそれ色盲関係ないねん!」とツッコミ、その場は大爆笑に包まれました。
他地域の方々からすればありえない光景かもしれませんが、私はこの空気感がたまらなく好きで、一種の感動すら覚えました。
もちろん全ての関西人がこれを受け入れられるとは思わないので、ヘタに茶化すのもよくないとは思いますが、これを可能にするのは「悲劇を喜劇にする」という共通理念があるからこその連携プレーです。
「この英語って色盲からみたら何って読めるん?」
「つづりは色盲でも一緒や!」
「あかんわ、俺色の違い分からへんからなあ…」
「いや、色盲は俺や!…て、なんやこのツッコミ!!」
その後もこんな風に、バリエーション豊富なボケで「色盲」を笑いに変えてくださっています。
ここから何が言いたいか、と申しますと。
『ツッコミを入れるとボケになる』ということです。
多分、前述のような先輩の発言をそのままスルーすると、完全に「陰湿ないじめ」とか「暴言」になってしまうのですが、ツッコミを入れることで笑いになってしまいます。
ジョーカーもそうだと思うのです。
例えば冒頭にも紹介した「バスで子供をあやしたら一喝された」という場面でもそうです。ジョーカーは心の中でツッコミを入れていたのです。
「いやいや、息子が目で振ってたやん!」
「しかもそこそこウケてたがな!」
「ほんで息子もやけに素直に言うこと聞くな!」
そうツッコミを入れていると、だんだんと悲劇が面白い喜劇になってくるように感じられませんか?
脳内でこのツッコミが繰り広げられているだけなので「精神病」という捉えられ方をするかもしれませんが、誰も気づいていないツボに自分だけハマって笑ってしまうタイミングなんて誰にでもあるはず。
原理原則はそれと同じです。
よって、私は「ジョーカーは関西人である」と結論付けたのでした。
サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。