屁ッセイタイトル2のコピー__11_

意味なんてどうでもいいじゃない。

2019年8月9日

大阪の靱公園という大きな公園で、突如映画が上映された。
タイトルは「マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー」

仕掛け人は、花岡さんだ。

元々は「公園をもっと自由に使えるようにしたい」「その先駆けになる何かがしたい」ということで映画祭をすることになったそう。

私はその映画の選定から携わった。
個人が家で観るのならTSUTAYAに行けば済む話だが、上映会となると話は別だ。

よくレンタルしたビデオに「上映を目的とした使用は禁止されています」と買いてあるだろう。一生自分には関係の無い説明だと思っていたが、四半世紀を過ぎる前にぶち当たった。

なぜ「マンマミーア!」なのか?
気になるところだろう。

ミュージカル映画が好きなの?
万人ウケを狙ったの?
外タレが好きなの?

そのどれもが違う。
結論から言うと「消去法」だ。

本当は夏場外で観るのに相応しい「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」や「ジュラシックワールド」などの案もあった。
誰でも知ってるし、シンプルに何度目でも「観たい」と思えるものを。

「マンマミーア!」はどうだ。
そこまで湧き上がってこないじゃないか。

せめてヒットした1作目ならまだしも、敢えてのリメイク版で、しかも少し続編要素を含んでいる。ミュージカルブームにあやかってややウケで終わった映画としか評することのできない凡打映画。

しかし、契約や上映時間の関係でこれしかなかったのだ。
そう知った時の花岡さんが「マンマミーア‼︎(なんてこった)」と叫んだとか、叫んでいないとか。

実際、上映してみると益々よくわからなくなる。
誰のための上映なのか、誰が楽しんでいるのか。

段々、映画の中身にも疑問が湧く。
童貞が急に美女をナンパしてsexしたり、初対面の男のボートに美女が乗り込んだり、また別の初対面男にプロポーズしたり。

DT歴が長い私には理解できない。
これが日米のカルチャーショックなのか、リア充と非リアのカルチャーショックなのかは定かではない。

なんだこれは。
何を観せられているんだ。
いや、観ているのは自分だから「られる」と言うのは不適切か。
だが自分が主体的に観ている感覚もないし、贔屓目に見ても興奮していない。

なんだこれは。
マンマミーア。

そんな時、映画の中でこんなセリフが流れた。

この島じゃ何もかもが突然だ。
突然起きることが幸福をもたらす。
考えること自体が、間違いなんだ。

私はハッとさせられた。
自分は考えすぎていたのかもしれない。

「なんでこの映画なのか」
「そんなことどうでもいいじゃない!」

「なんで公園で見ているのか」
「そんなことどうでもいいじゃない!」

「なんで俺は生きているのか」
「そんなことどうでもいいじゃない!」

そうか、どうでもいいんだ。
この大いなる宇宙の流れに身を任せれば。

そもそも俺は奴隷なんだ。
奴隷とは言われたことを何の疑問も抱かずただ受け入れ、思考停止したままヘラヘラと笑って使われていくべきなのだ。考えることは間違いなのだ。

花岡さんは私にそう言いたかったのかもしれない。
そうじゃないのかもしれない。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。