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“無駄”から見えるもの。

私は身長が186cmあり、自分で言うのも何ですがかなり脚が長いです。
ほらこの通り。

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こんな私の数少ない取り柄を称賛してくれる善人がわずかにいる一方で、ほとんどの友人・知人はこう称します。

「無駄にスタイルがいいな」

遡れば中一の夏祭りから言われ始めました。みんなが異性を意識し始める「思春期」という時期ですね。母親が買ってくれた細いジーンズを履いて会場である中学校にいくと、友人たちが一同に「脚長ッ!」と言いました。

文字だけで見ると称賛しているのか、軽蔑しているのか判断つかないと思いますが、明らかに後者です。トーンとしては「服ダサッッ!」とか「足クサッッッ!」ぐらい。
およそモデル体系の男性が称えられるような言い方ではなく、カマキリの寄生虫である「ハリガネムシ」を最初に見たときのような感想であることはお分かりいただけると思います。

それから、私のスタイルに対する評価は一貫して変わることなく、高校でも大学でも称賛されることなく、幾度も「無駄にスタイルがいい」という言葉をいただきました。

ボルダリングでは「虫みたい」と言われ、自転車に乗れば「毒グモみたい」と言われ(毒いる?)、電車で座っているだけで足に蹴躓いたおじさんが鬼のようなメンチを切って去っていく。
バスに乗れば前の座席に膝がついて治らず、2人がけを1人で使ってしまうことになるので基本的には座れず、何かでミスをすれば真っ先につく異名は「デクノボウ」です。そういうものに私はなりたい、わけじゃない。

確かにこう考えてみると、私にとってこのスタイルが与えてくれた恩恵は皆無に等しい。そう言う意味で正真正銘の「無駄」です。

ただ、ふと考えるのです。
この脚が他の誰かについていたら「無駄」だっただろうか?と。

おそらくこの脚を手に入れた瞬間、バカみたいにモテるようになる男性もいるでしょうし、「スタイルいいね」と素直に褒められる人の方が多いはず。
ではいったい私の何が「ハリガネムシ」や「毒グモ」に仕立て上げるのか。

おそらくは私が四半世紀を通して培ってきた絶妙にダサいファッションセンスや、育ちの悪さをふんだんに感じられる言動、ブサイク。そんなところだろうと思います。

おおよそポジティブな要素にしかなり得ない「長い脚」を造作もなく「無駄」に仕立て上げてしまう。それはまさに私の「個性」ではないでしょうか。

「凸凹」で表現すれば、長い脚という凸とシャニカマらしさという凸がミスマッチしているから「無駄」になってしまう。逆に言えば凸にしか合わない凹があるはず。
阿部寛も草なぎ剛も、桐谷美玲も菜々緒も持ち得ない個性があるからこそ、私は“抜群のスタイルを無駄にしてしまえる”ということです。

私にぴったりとくる凹は見つかっていませんが、それがどこかに眠っているとしたらこんなワクワクすることはありません。いつか出会える1つのピース(つまりワンピース)を目指して、無駄に長い脚で歩んでいこうと思います。

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サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。