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人間は擬態する生物だ。

大阪市営地下鉄、四つ橋線の「肥後橋駅」で最終電車に乗るため地上から階段を降りました。
最終前なので駅員さんが改札から出たところに佇み、乗り遅れそうな人へ「もう出ますよ!」と声かけをするために辺りを見渡しています。

私が改札へ向かって歩く時点ではまだ最終まで少し時間があり、駅員さんも手持ち無沙汰とでも言うように改札前をただウロウロとしていました。
私に気付いた彼はチラッと腕時計に目を落とし、幾分か余裕があると確認すると再び視線を上げて改札内に戻って行きます。

勿論、駅員さんですから改札を通る時に切符なんて入れませんし、ICカードをタッチする必要もありません。それは至極当然なことです。
その駅員さんも例に漏れず、何の所作もすることなく改札を通って行きました。

その時です。

駅員さんが改札を通る瞬間に、私を一瞥くれたかと思うと、ほんの僅かに口角を上げたのです。
回りくどい言い方をやめると「私を見て笑った」という事です。

彼はどうして笑ったのでしょうか?
終電前の人間なんて山ほどいるし、何なら少し余裕があるタイミングです。

私の服装?
それとも顔か?
もしかして安日給で馬車馬のように働かされている悲壮感が出ていたのか?

大阪駅のトイレで確認しましたが、どうにも外見で笑われたようには思えません。
私には仮説があります。

彼は「駅員マウント」を取ったのです。

「駅員」の特権である『改札を縦横無尽に行き来できる』ということを、一定額の金銭を納めなければ通行することが許されない一般人に対する「優越」だと判断したから、彼はその微々たる優越感に浸り、挙げ句の果てに私をあざ笑ったのです。

私は薄ら笑いを浮かべながら改札に吸い込まれていく駅員さんの茶色がかった瞳に社会の縮図を見ました。

普段はロクに返事もしない相手にもペコペコ頭を下げて挨拶をし、理不尽な言いがかりに答え、どん臭い乗客の無くし物を探し、他人の吐瀉物をも処理させられる。
そんな「乗客」に対して、ある種絶対的な服従を強いられている「駅員」という役割を全うしている彼ですが、唯一そんな乗客に対して優位に立てる場所が「改札」だったのです。

まるで、クラスのカースト下位の子供が、我が家に友人を招いた途端横柄に振る舞うかのように。
大国のお偉方をまあにするとヘコヘコと気味悪いぐらいに愛想を振りまく政治家が、国内の演説では堂々たる口ぶりで覇者としての振る舞いをするように。

駅員さんは与えられた「特権」を利用して、自らの自尊心を存分に満たし、笑みを浮かべたのです。
人間という生き物は与えられたモノ、使える環境で如何様にも変貌する、言わば「擬態」を得意としたカメレオンのような生物なのかもしれません。

もちろん、駅員さんに直接「あざ笑いましたよね?」と聞いたわけでも無いので真相は分かりません。純粋に仕事の楽しさで笑みが溢れたのかもしれませんし、書くネタに困った私が見た幻想かもしれません。

しかし、あの瞳の奥から透けて見えた「人間」という動物が持つ特性は、限りなく真理に近いのではないでしょうか。

少しそれますが、私が働く「人間」という会社は、一時GoogleMap上で「ホームセンター」というカテゴリになっていました。誰でも編集可能みたいで、犯人は未だ分かっていないそうです。
今日ついに「ここホームセンターちゃうの?」と間違ってオフィスに入ってしまう人がいたので、流石に修正していましたが、これまたある種の「擬態」なのかもしれません。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。