その一言は終戦の宣言か、開戦の狼煙か。
「まあ、いいんですけど」
これは今日発見した、弊社の社長である花岡さんの口癖です。
今日だけで5回も「いいんですけど」と言われました。
そして、その5回全てにおいて別によくなかった。
全部言った通りになりませんでした。
オール論破。
ただ、この言葉には花岡さんのスタンス、いや会社全体の文化が現れている言葉だと思うんです。
確かに山根さんも佐々木さんも、この会社の人はど素人の意見を絶対に受け入れてくれるんです。なるだけヒエラルキーを生まないコミュニケーション。
「まあ、いいんですけど」
これは『これから伝える言葉は、あくまでも個人的な意見ですよ』というスタンスを強調しています。『私の言葉に決裁権があるのではなく、あくまで意見ですよ』という姿勢。
しかし、今日見た全ての「いいんですけど」は「いい」のままに終わらず、全部が全部、花岡さんの言う通りにひっくり返りました。ここがおもしろい。
フラットな意見の交換をしているが、最終的な着地点は花岡さんが考えていることになる。簡単に言えば「シャニカマが圧倒的に劣っている」と言うことです。
何時間もかけて考えた企画書でも、ものの数分でひっくり返る。
でも何1つ悪い気はしません。
だって、花岡さんや山根さんに言われた方が面白いんですから。
ただこの状況には危険が潜んでいます。
それは「思考停止」です。
「まあ、いいんですけど」が今後出た時に、花岡さんの意見を全面的に信頼し切ってしまうことで…
「出た!これから正しい答えが出るぞ!」
「答えを教えてください!!」
となってしまったら、死んだも同然です。
「いいんですけど」をある種のポツダム宣言というか、降伏を受け入れるサインだと捉え始めたら、この会社にいる価値は無くなるんです。
そうじゃないでしょ。
「これは開幕宣言だ!」
というぐらいの気概でいた方がいいのかもしれません。
「まあ、いいんですけど」
「いいでしょ!!!!絶対いいでしょ!!!」
と押し返すぐらいの気概が。
もしかすると花岡さんは、そうやって立ち向かってくる男を待っているのかもしれません。敗北が知りたくて。だから頭ごなしに否定することをしないんです。
素敵な会社でしょ。
ただ、今日1回だけ「いいんですけど」が出ずに否定された事案がありました。
「花岡さんをモノマネできる口癖見つけたんですよ」
「え、なに?」
「『別にいいんですけど…』です!どうですか!」
「もうイヤ。絶対にこれから言わん。」
私はこの会社の大切な文化を壊してしまったのかもしれません。
フラットな文化が失われてしまうかもしれません。
まあ、いいんですけど。
サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。